ニコン ニッコール50mmF3.5(ブロニカS用)の撮影結果(南知多モデル撮影編)


SEKOR45mmF28

ずんぐりとしたスタイリングに反して切れ味は鋭い。
☆ジャンク度☆
絞りスプリング弱め
撮影可能


SEKOR45mmF28 SEKOR45mmF28
光学的には申し分ないコンディション。
純正レンズキャップをへこませたのは迂闊だった。


SEKOR45mmF28
標準レンズ(75mm)に比べて野太い鏡筒に写りそうな迫力がある。


SEKOR45mmF28 SEKOR45mmF28
下に滑り込むミラーのギミックが後玉の出っ張りを実現させた。


 本レンズは拙僧が東京在住時代、カナダへ移民する際に友人から選別で頂いた物である。絞りのスプリングが開放側にやや緩い個体だったが、絞り込みは問題なかったので実際の撮影に支障はない物件だった。東京の方々には本当に良くしていただいたなあ。
 拙僧が主力として配備しているのはブロニカS2である。ブロニカについてチョットだけゴタクを述べてみよう。ブロニカは吉野善三郎さんという方が、自分の理想のカメラを求めて一から会社を立ち上げて作ったカメラである。戦前からライカなどのドイツ製カメラを含めてカメラを蒐集なさっていたというから大変な資産家だったのだろう。それでも新しくカメラ制作会社を作るというのは大変な資金が要るから、最初は化粧ケースやライターなど金属加工の会社を立ち上げたらしい。これが大評判となり、カメラ制作会社を立ち上げる資金になったというから商才がある方なのだろうな。
 1959年には初代のブロニカDを投入する。これは中判の一眼レフでハッセルタイプのまくわ瓜型だった。実際にハッセルから似ているとクレームが来てしまうのだが、拙僧からすれば言いがかりにすぎないな。最速1/1250のフォーカルプレンシャッターを搭載し、シャッターダイヤルはフォーカシングノブを兼用している。一番の特徴はボディ下部に滑り降りるミラーで、これによってバックフォーカスが短いレンズの採用を可能としていた。しかし、新基軸をふんだんに採用した代わりに故障も多かったらしく、以降は簡素化というか信頼性を高める工夫を凝らしてる。ブロニカS2は1965年の発売で、メカニズムもスタイリングも精錬されて最も完成された機械式フォーカルプレンシャッターのブロニカと言っていいだろう。この頃までにシャッターの最速は1/1000になり、ノブ式のフォーカシングはヘリコイド式に変更になったが、使いやすく信頼性が高まった。拙僧は気に入って2台持っているな。
                ☆             ☆
 さて、肝心のレンズである。構成は6郡6枚で典型定期なレトロフォーカス型である。登場は初代のブロニカDと同時期と言われるから、かなり古い設計のレンズではある。よく言われるようにレンズ構成図を見ると、当時のライカ判一眼レフ用のレンズのオートニッコール28mmF3.5によく似ている。これはニッコール一千一夜でも語られた有名な話だ。しかし、ソビエトのロケットと違って勿論、単純に大きくしたわけではない。通常、ライカ判のレンズを中判用に拡大してもバックフォーカスがミラーに干渉して上手くいかなかったりするらしいのだが、ブロニカはミラーがボディ下部に滑り降りるので干渉を回避している。この辺はブロニカの先見が見られる。前玉が凄く大きいのが特徴的で、いかにも写りそうだ。ブロニカ用の50mmとしては後に50mmF2.8が登場するのだが、これは前玉の口径も小さくなって、その代わりに細長くなっている。迫力からすれば本レンズに軍配が上がるだろう。
 写り具合は撮影結果を見ていただきたいのだが、露出が適正であればパリッとしたシャープで歪みがなく抜けの良い素晴らしい写りだ。発色がイマイチという話もあるのだが、完全にモノクロ時代のレンズだから仕方ないな。収差が少ないのか夜景などはスッキリと好ましい写りをする。ライカ判換算で28mm相当というが、スクエアフォーマットなのでより広角感を感じる。
 ブロニカの命名は勿論、創設者の善三郎さんから継承している。正確にはゼンザブロニカなのだ。後に自社製のレンズを製造するが、発売当初ニッコールを選択したのは、世界最高のカメラを作ったという自負から世界最高のレンズをチョイスしたらしい。現在のライカブランドやツアイスブランドに寄り掛かるデジカメメーカーに聞かせてやりたいエピソードだな。

















 では、撮影結果(秩父散歩編)をご覧頂きたい。

(了:2015/9/24)

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