マミヤ光機 (旧)マミヤ6


MAMIYA6

☆ジャンク度☆
距離計対物ガラス破損
自動巻き上げ故障(?)
撮影可能


MAMIYA6

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 トップカバーのボタンを押下すると、スプリングで蛇腹が繰り出し、撮影可能状態になる。

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 レンズはズイコー。画像では上手く表現できていないが、綺麗な状態である。
 シャッターは1/100、1/200、1/500という昔のカメラにある係数。

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 ファインダーはセミ版マスク付き。

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 経年劣化で貼り革は所々剥がれる。


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 カメラを構えて左側にはフィルム巻上げノブが位置する。
 巻き上げ量はシックス判(12枚撮り)とセミ版(16枚撮り)の切り替え式。

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 右肩にはフォーカシングスケールが位置し、ボディ背面のノブでフォーカシングする。
 本カメラはフィート表記である。海外向けか?

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 たすきや赤窓蓋にもメーカー名の打印が。

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 アイレットはボディ側には付いておらず、革ケースに金具が付く。
 拙僧の革ケースは残念ながら壊れている。

 距離計連動機に興味を持ったのは、この筋の祖である田中長徳氏などがスナップにおける距離計連動機の有効性を説いていたからだ。さらに中判のカメラに注目したのはブロニカS2海鴎で中判サイズのモノクロフィルムで表現する空気感に惹かれていたからである。それに当時はライカ判の距離計連動機は今よりずっと高額だったのだ。今でこそ、コニカS2辺りが1000円位で転がっていても珍しくは無いが、当時はキャノネットGIIIが2万円以上してもおかしくは無かったのである。そう考えると1万円台の距離計付き中判カメラと言うのは魅力に感じたのだった。また、蛇腹と言う構造にも興味があった。
 当時、拙僧は八王子の住んでいたので中央線沿線の中野や新宿は主な戦場であった。今は奥まったところにある「カメラのきむら」は大ガード通りに面しており、大変栄えていた。そこに置いてある1万円台のベッサには以前から興味があった。ベッサと言っても近年にコシナから発売されたライカ判距離計連動機のシリーズではない。半世紀以上も前のオリジナルのベッサだ。しかし、実際に手に取ったが、これはあまりにもアンティークで既に文物化しており実用にはむずかしいと思われた。次に目を付けたのはマキナである。これは後年のドイが発売した樹脂性ボディの方だ。マキナはニッコールと言うブランドにも強く引かれたのだが、いかんせん高すぎた。安くても5万円台なのである。この相場は多分現在でも大して代わらないだろう。そこで何か物欲のはけ口になる物をと探していたところ、BOXで見つけたのが本カメラ「マミヤ6」であった。
 その時は距離計連動機でズイコーが付いているのに注目した位で本カメラの斬新でユニークな機構や、その世界的な評価については全く知らなかった。本カメラのズイコーにクモリが多い事くらいは知っていたかもしれない。兎に角、物件は蛇腹の状態も良く、距離計イメージもはっきり見え、レンズの状態も申し分なかった。それにマミヤと言うブランドは関心が高い物であった。それは「究極超人R」でそのような名前の人物が登場した事に端を発するのであるが、それは兎も角、マミヤと言うメーカーが中判カメラにおいて充分な評価を得ている事は知っていたのだ。マミヤが実は過去にはライカ判カメラも豊富に発売していたと知るのは随分後の事だ。革ケース付きで14800円だったと思う。これは、中々お買い得だと思った。実際、当時の相場からすればお値打ちだったと思う。速やかに拾い上げたのは言うまでも無い。
 尚、マミヤ6にはプリングカメラとかフォールディングカメラと言われる蛇腹がむき出しで金属製ボディの(旧)マミヤと、プラボディの近代カメラのマミヤニュー6が存在するが、本コンテンツは蛇腹カメラの(旧)マミヤ6のみを取り上げ、これをマミヤ6と呼称する。
                ☆           ☆
 マミヤ光機がマミヤ6のシリーズを初めて発売したのは戦前まで遡る。初期の物はコミナーやシムラーのレンズが付いていた他、手持ちのレンズを取り付けるサービスもあったようだ。マミヤ6が優れていたのはバックフォーカシング方式を搭載していたところにある。本カメラのような蛇腹カメラの場合、ボディ側に搭載した距離計とフォーカシングを行うレンズ側とのリンケージに工夫が必要だった。この種のカメラの長であるイコンタなどは、レンズからレンズの繰り出し量によって回転するにょきりと生えた腕の先にプリズムを配置し、ボディ側のファインダーと組み合わせたドレイ・カイルと言う方法で距離計連動を実現している。これは複雑な機構のため、本コンテンツでは詳しくは述べない。まあ、精度と金が必要なシステムだったのは間違いないらしい。また、ライカのようなライカ判距離計連動機は、レンズの繰り出し量をボディ側の腕が受ける事によって距離計連動を実現している。本カメラのように蛇腹でボディ側とレンズ側が離れている場合は、この方式は実現できない。そこでマミヤはレンズの繰り出しでフォーカシングを行うのではなく、フィルム面を移動させることでフォーカシングを行うことにした。これだと距離計連動の機構はボディ側で完結するため、レンズ側との複雑な連動を考えなくて済む。これはとても画期的なことで、世界にも先駆けたアイデアであった。この、独自の優れたシステムにより、戦時下の流通規制で様々なメーカーのカメラが生産中止を余儀なくされていた時にも、特別に生産を許されていたと言う。正に国民の誇るカメラだったのである。また、ボディー内レリーズと自動巻き止めを実現しているのも特筆すべき点であろう。本カメラはボディ背面の赤窓を覗きながら「1」までを巻き上げ、レリーズ後にロックを解除して再び巻き上げると自動的に1枚を巻き上げてノブが止まる。まだ、シャッターチャージには別の工程が必要だが、レリーズ後にファインダー内に現れる赤ベロと組み合わせると、限定的では有るが二重露光を防止し確実に巻き上げることが出来る。尤も、拙僧の個体はこの自動巻き止めが少し怪しいので、赤窓目視により巻上げを行っている。
 カメラとして成功したマミヤ6には1940年から1950年代後半まで長くの間モデルチェンジを経て様々なサブタイプが存在する。その大きな点を掻い摘んで紹介すると、まず、レンズが大きく分けてオリンパスのズイコーと自社製のセコールに分けられる。実際には前述の通り、初期のモデルは様々なメーカーに対応したようだが、現在流通している物の殆どはこの2つの何れかであろう。セコールにも廉価版の3枚玉とテッサー型の4枚玉があるようである。本カメラでも搭載しているズイコー75cmF3.5は繊細なシャープネスと滑らかな諧調が女性ポートレイトに有効な名玉だと拙僧は思っている。シャッターは様々だが、本カメラの様に1/500を装備している他、1/300までの廉価バージョンも有るらしい。また、シャッターは「B、1、1/2、1/5、1/10、1/25、1/50、1/100、1/200、1/500」と現在とは異なる倍率である。こう言うカメラは古いカメラによくある。初期の物はシックス判のみが対応であったが、本カメラのようにセミ版のマスクを内蔵してセミ版の自動巻上げに対応した物もある。また、自動巻上げを省略し、赤窓式巻上げにした廉価版も存在するようだ。細かい話をすると、距離計窓が四角のものと丸のものがある。更に、後期にはとうとうセルフコッキングを搭載したマミヤ6オートマットが登場する。このオートマット式の物は現在でも高価である。逆に言うとオートマット式で無いものは、かなりのお値打ちである。拙僧は半世紀前の様々な距離計連動機のファインダーを覗いたが、マミヤ6の距離計は正確で劣化も少ない。これはマミヤ6の素性のよさを表していると思う。
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 では撮影してみよう。裏蓋を開けるとフィルム圧板の代わりに差し込み式のプレッシャーボードが存在する。これを一度抜き、フィルムを装填した後に差し込むのだ。これはバックフォーカシングを正立させるには重要な機構である。気を抜いていると差し込むのを忘れてしまうので注意が必要である。その後、裏蓋を閉じて、赤窓で「1」を確認するまでフィルムを巻き上げる。ボディ上面中央部に位置する起立ボタンの押下で、スプリングによって蛇腹が伸長し、自動的にレンズが固定されて撮影可能状態になる。ボディ背面にはフォーカシングダイヤルが存在し、これを指の腹で回転させることによってフォーカシングを行う。このダイヤルは抵抗感があり、金属製でギザギザが彫ってあるので指に痛い。これは女子供の使うカメラではないのだ。距離計は40年以上も前のカメラとは思えないほど見やすいので困ることは無いだろう。カメラを構えてレンズの右上にシャッターチャージレバーが有るので、これを押し下げてシャッターをチャージする。レンズ側にあるシャッターリングと絞りリングによって露出を設定し、ボディ側のレリーズボタンの押下でシャッターを切る。レリーズ後、ファインダー内に赤ベロが現れるので二重露光の防止になるが、機械的なリンケージがあるわけで無いので意図的に二重露光をすることは可能だ。その後は、ボディ左背面に位置する巻き止めロック解除レバーを左に引き、巻き上げノブがロックするまで巻き上げる。この時、ロック解除レバーの位置は、シックス判(12枚撮り)とセミ判(16枚撮り)では位置が異なるので注意が必要である。赤窓を使用するのは1枚目だけで、後は1枚を自動で送り止める。全ての撮影が終わると巻き上げノブはフリーとなるのでフィルムを完全に巻き上げてフィルムを取り出す。
 本カメラの少ない欠点の一つが本体にアイレットが無いことだ。これは必然的に革ケースと使うことになるのだが、革ケースの金具が特殊で(もしかしたら、この当時としては特殊ではないのかもしれないけど)汎用的なDリングなどは使えないので注意が必要だ。具体的には革ケースの金具が穴の無い突起物であり、ベルト金具が付いていればラッキーだが、付いていないとそれに対応したベルト金具を探す必要がある。これはブロニカS2やハッセルの物と同じようにも見えるが確証はない。拙僧は中古カメラ屋で探してもらったが、5000円も請求されたので顔が引きつってしまった経験がある。
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 物心付いた頃から一眼レフカメラを使っていた拙僧にはスナップ時に距離計連動機の方がフォーカシングし易いと言うのはピンと来なかった。フォーカシングに限っては拙僧にとっては一眼レフの方が素早い。確かに露光中はミラーが跳ね返り、被写体が一瞬見えなくなるのだが、そんなことで写真が曲がるとは思えない。しかし、同じシックス判の露光面積を持つカメラとするならば、一眼レフカメラのボディマスと本カメラでは大きな違いがある。つまり機動性が違うのだ。そういう意味では、軽くアイレベルで撮影可能な本カメラはスナップに向いているだろう。同じアイレベルでもペンタックス6x7では必要なエネルギー量が違う。
 現役時代では登山家などにも愛用されていたようである。いやいや、まだ現役を退くには早すぎる。本カメラは製造時にお金が掛かっているので、現在でもレンズとシャッター、ファインダーのコンディションの良いお物はまだまだ流通しているだろう。コストパフォーマンスの高い中判カメラとして確保して欲しい。

 では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2009/12/13)

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