駒村商会 トプコンホースマンプレス970


HORSEMANPRESS970
今や貴重な距離計テクニカルカメラ

☆ジャンク度☆
距離スケールガラスヒビあり
撮影可能


 一般的には「トプコン ホースマン」或いは「トプコン ホースマンプレス」と称される本カメラのシリーズだが、本ページでは企画を立ち上げた駒村商会に焦点をあてたい。何しろ、トプコン(東京光学)を紹介したコンテンツは沢山あるからな。
 駒村商会の創業は1933年、京都で事業を始めている。当初の事業としては京都らしく刺繍職人にデザインを供給し、タペストリーや屏風などを制作して商社を通じて海外に輸出していた。ヨーロッパではナチス党が台頭し、きな臭くなっていたが日本では戦争は少し遠い話になる。写真に近い事業だと、京都御所の近くで観光写真を撮って販売していた。気楽な稼業に思えるかもしれないが、まだ乾板が主流だった時代だ。それがそこそこ良い商売になったようで、ライカやローライなど、ドイツ製のカメラの小売りを始めた。一方で創業者の血縁者が満州に渡り、感材や現像用品の卸売りをしていた。なんでも、主要顧客は満州鉄道だったそうである。時代を感じるなあ。戦争中はカメラどころかフィルムや感材の供給も厳しく制限されていたから商売も大変だったと思うのだが、詳しくは分からない。しかし、満鉄に近いということは陸軍に近いということだから、それなりに上手くやっていたのだろう。そのせいか、敗戦後の引き上げに時間がかかってしまったそうだ。
 戦後も京都で商売を再開した。東京とのパイプがあったので日本橋に支店を立ち上げている。商売は順調で、やがて小売業から問屋になり、マミヤや藤本写真用品(ラッキー)の特約店になった。更にコダックの西日本の代理店としてアンスコのフィルムを扱い、1947年には西日本で初となるカラー現像処理事業を始めることになる。満州で散々な目にあったはずだが、なかなかのスタートダッシュと言えるのではないだろうか。1950年代になると警察庁からの要請でテクニカルカメラの開発に取り組むことになる。これがホースマンプレスシリーズの原型となるのだが、警察庁から声がかかるというのも凄いよな。何でも開発費用の一部は警察庁から前払いで供給を受けたそうだ。よっぽど創業者か、その血縁者に凄腕の営業能力があったのだろう。或いは陸軍繋がりか。
 当時の警察の鑑識やプレスカメラマンはスピードグラフィックを使っていたのだが、なにせ敗戦から10年も経っていない貧乏な日本である。そんな高級なカメラを簡単に確保できるはずもなかった。なので国産テクニカルカメラのニーズが高かったのだろう。原型となるPC−101とよばれるカメラはホフマン光学によってホフマンプレスとして少数が量産された。しかし、ホフマン光学は倒産してしまう。そこで名前をホースマンプレス102と変更し、1958年からホースマンプレス104として東京光学(トプコン)が量産を開始する。「ホースマン」というブランドは「馬男」にも解釈で来て、拙僧なんて品性に欠けるからなんだか「横山まさみち」を想像してしまうのだが、騎士や騎手を意味するそうだ。また、駒村商会の「駒」から「ホース」を連想した事実もあるらしい。ホースマンプレス104は警察鑑識用カメラとして一般発売はしなかった。カメラの風体は贔屓目に見てもリンホフのテヒニカ23を連想するもので精錬されたとは言えない。レンズもマミヤから供給を受け、実験的というか先行生産モデルと言えるだろうな。しかし、距離計を搭載しビューファインダーにはパララクスの補正機構を組み込むなど先見があり、後のモデルの原型となった。
 1960年には東京光学により設計を一新してホースマンプレス960が登場する。これは外観もオリジナリティが高く、基本的な設計は最終モデルである1977年登場となったホースマンプレスVH−Rまで踏襲した。ホースマンプレス970は更に精錬されて実用性が向上している。

                ☆           ☆

 現在では距離計付きテクニカルカメラ、或いはプレスカメラというジャンルは事実上消滅している。中判(ロール・カット)フィルムか4x5フィルムを使い、ティルト、ライズといった「あおり」機能を搭載する。ピント合わせは大判カメラのようにピントグラスで行うが、距離計を使用した迅速な撮影も可能だ。マミヤプレスやコニカプレスなどがライバルとなるが、固定鏡筒のそれらのカメラに比べ、本カメラはフィールドカメラに近い蛇腹を使ったデザインであり、「あおり」機能が充実し、蛇腹が大きく繰り出して接写撮影を可能としている。あまり「あおり」機能を警察鑑識やプレスが使うとは思えないが、接写は必要とされたのではないだろうか。一方で蛇腹の脆弱性は悪天候下などでネガティブとなっただろう。一説によると発売当初は販売量が振るわなかったのだが、皇室カメラマンが使っていて「陛下を撮影するカメラ」としてブランド力を身に着けたらしい。これは某誘拐殺人犯がマミヤプレスを使っていて、マミヤプレスに不名誉が付いたのとは対照的だ。
 テクニカルカメラと言ってもピンとこない方も多いだろう。見た目はハンマートーンのデカいフォールディングカメラ(スプリングカメラ)に見える。レンズベットを開いてもレンズは繰り出さない。ボディに格納するレンズユニットを無限遠ストッパーの位置まで引っ張り出すと撮影可能状態になる。無限遠ストッパーは5つ色分けして存在し、それぞれが何かしらの焦点距離のレンズと一致するのだが、拙僧は何色がどのレンズと一致するのかは知らない。「あおり」撮影については拙僧も詳しく説明できないので割愛する。物撮りや建築物を撮影するのに便利だ。ただ、標準レンズであるトプコン105mmF3.5は、それほどイメージサークルが大きくないので効果は限定的だろう。
 レンズは勿論、トプコンブランドである。65mmから180mmまでを用意し、特殊レンズとして接写用の45mmも生産している。中古カメラ市場では、一般的に標準レンズとして105mmF3.5が付いている場合が多い。ホースマンプレス用のトプコンレンズはそれほど高価なものではないが、距離計カムが付属しているケースは少ないので、距離計を使用したい方は注意が必要だ。レンズはホースマンプレス規格のレンズボードごと交換し、焦点距離に合わせたカムによって正確に距離計に連動する。距離計はビューファインダーと別体式で、いわゆる二眼式である。拙僧の師団では珍しく、Lマウントライカの気分が楽しめる。フォーカシングはレンズベットのノブを回すとレンズベットのレールに沿ってレンズユニットが前後して行う。ピントグラスを使用する場合、撮影は少々厄介である。まず、フィルムバックを外してピントグラスと交換する。レンズの絞りを解放にしてシャッターをチャージし、プレスフォーカスレバーでシャッターを開く。ピントグラスでフォーカシングの後、プレスフォーカスレバーでシャッターを閉じ、絞りを絞ってピントグラスをフィルムバックに交換。レリーズバーでシャッターを切る。これは体が覚えるまで動作のなにかしらを忘れて困惑するが、テクニカルカメラや大判カメラの作法である。もっとも、拙僧は本カメラを「中判フィルムが使えるライカ」だと思っているので、もっぱら距離計を使ったスナップ撮影をしている。
 フィルムバックはグラフレックス規格で6x7判と6x9判が存在する。また、4x5判のフィルムバックもあったようだ。ホースマンプレスは1977年に発売となったホースマンプレスVH−Rで終了するが、1975年に登場した距離計を持たないホースマンプレスVHは継続し、駒村商会が東京光学からレンズの供給を受けられなくなって以降も後続モデルを出している。レンズはローデンシュトックから供給を受け、高級ブランドになった。拙僧が知っている駒村商会は既にローデンシュトックのレンズを基本としたテクニカルカメラだった。

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 駒村商会は現在も盛んである。写真関係の事業はケンコーに業務移管したが、超高感度特殊ビデオカメラや照明機器で気を吐いている。なんでもニコンやキヤノンの一眼レフデジカメにも対応するそうだ。各国の軍事関係者がのどから手が出る程欲しい技術じゃないかな。
 満鉄との取引で感材事業を展開した駒村商会は、現在でもミリタリーに近い位置で業務を継続しているのかもしれないな。

 では、撮影結果(香嵐渓紅葉編)をご覧頂きたい。

(了:2015/12/10)

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