常州相照机総廠 紅梅 HM−1


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プリミティブな中判蛇腹カメラである。

☆ジャンク度☆
貼り革はがれ
撮影可能


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 蛇腹のコンデョションは良い。
 格納するとコンパクトだ。

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 ホットシューではない。
 レバー式巻き上げはモダンである。

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 紅梅のアイコンがオシャレ。
 ファインダーはシックス判・セミ判兼用。

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 アルミと樹脂が組み合わされたレンズまわり。

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 カメラを構えて左側にはフィルム巻上げノブが位置する。
 巻き上げ量はシックス判(12枚撮り)とセミ版(16枚撮り)の切り替え式。

 本カメラはご覧の通り中国製中国ブランドのカメラである。それほど珍しいものではないのだが、プリミティブ過ぎる構成から我が国ではホルガのようなオモカメから一歩進んだ程度のカメラとしか評価されていないようだ。しかし、露出もフォーカスも任意に設定できる本格運用にも耐えるカメラである。我が国でも紅梅というブランドは一般的に知られる所だが、メーカーである常州相照机廠について語られることは少ない。そこで本頁では拙僧が見つけた中国のコンテンツを元に、それなりに理解した結果を紹介させていただきたい。ネイティブの身内に検証してもらったので大幅には間違っていないはずだ。
                ☆           ☆
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 紅梅(注釈:ホンメイ)「HM−1」は70年代末から80年代半ばにかけての常州相照机廠の主力製品である。また、常州相照机廠にとって最も成功した量産品であり、10年以上にわたって生産が続けられた。
 常州相照机廠はもともと消火器を生産する100名足らずの小規模な工場だった。正式に設立は1973年のことである。当時は常州相照机試制グループと呼ばれていた。手始めに上海相照机廠の「上海(海鴎)202」の図面一式を基にカメラを開発した(海鴎202はアグファイソレッテに似た蛇腹目測カメラ。上海202と海鴎202は正確には別のカメラの形跡もあるが本コンテンツでは同じものとする。距離計を搭載した海鴎203も存在する)。当時の我が国(注釈:中国)の機械工程専門家、沈鴻同志が自らモデルを選択し、常州相照机廠の製品は「陽春麺」を目指すべきであると話した。「陽春麺」とは上海の見栄えが良く価格も安い大衆的な麺(注釈:ラーメン)である。生産投入されたのは1975年のことである。紅梅「HM−1」と上海「海鴎202」に起源について、私は3名の上海相照机廠OBに質問した。その内の1名は上海相照机廠の支部書記だったが、私の質問に肯定的に答えてくれた。
 1975年から1977年までに生産された紅梅「HM−1」は3000台にも満たない。連年損失を重ねていた。1978年から状況は好転し、1984年には常州相照机廠は価格にして38元から120元までの合計8種類のカメラを生産可能としていた。1984年以降、常州相照机廠は年間20万台のカメラを生産、既に国産6大カメラメーカーの中に含まれていた。
 常州相照机廠の評価に関して、当時の国家機械工業部機器局リーダーの話がある。上海、常州相照机総廠と江西光学機器総廠は、既に我が国の三大先進相照机生産メーカーである。特に貴重なのは常州相照机廠への投資である。国家からの正式投資は他の類似型カメラ工場の五分の一であるにも関わらず、一般のカメラメーカーより遥かに超えた国家への貢献をしている。「1984年国家機械工業部機器計器局リーダによる経済新聞記者への答え」

 以上の文章は1984年、1985年、1986年のカメラ雑誌の関連文書から。

 紅梅「HM−1」は海鴎202を起源としている。初期のものは海鴎202のパーツを組み込んでいた。外装は異なっていたが、レンズシャッターは完全に海鴎202である。初期型は粗造である(注釈:紅梅「HM−1」は最高速度が1/100のものと1/200のものを確認しており、粗造な初期型とは前者を示しているのかもしれない)。後期型はフラッシュソケットが有る無しの二つのモデルが存在する。これにはちょっと説明が必要だが、フラッシュソケットはホットシューではない。ただのソケットである。紅梅「HM−1」のレンズは三枚構成であるが、海鴎203の(注釈:トリプレットの)クックタイプとは異なり、比較は簡単である。シャッターは簡素なBと1/10〜1/200の6速である。レンズの開放値はF4.5である。
 紅梅「HM−1」は老百姓そのもののカメラであり、簡単に貧民百姓にも撮影の楽しさを約束する。それは一生に一度の運命を変えるものである。
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 常州相照机廠は分裂と合併を繰り返して常州相照机総廠となった。本カメラは後者の時代のものである。現在は常州紅梅相照机有限公司となり、今でも光学機器を生産しているようである。ようであるというのは公式HPが見つからず、ネットショップでも常州あるいは紅梅ブランドのデジカメを見かけなかったからだ。近年まで、フジのカルディアトラベルミニに似たコンパクトカメラを製造していた形跡はある。紅梅ブランドでは、本カメラのような蛇腹タイプのカメラの他に、ルビテルやアルゴフレックスのようなプリミティブな二眼レフを製造している。RAINBOWやFONDICAブランドによるライカ判コンパクトカメラも出しているが、ピッカリコニカの出来損ないや固定焦点カメラであり、高級感とはかけ離れている。本カメラも例外ではなく、複数のコンテンツで「低価格、低材料、低技術」と評されている。発売当時の価格は70元程度だったようだ。勿論、これは現在の70元ではなく、文革時代の70元である。
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 改めて本カメラを紹介したい。本カメラは撮影に必要最低限の機能しか与えられていない、120判フィルムを使用する蛇腹(フォールディング)カメラである。中国でいうところの「皮腔折畳相照机」だ。軍幹部にある小ボタンを押下するとスプリングによってレンズによって蛇腹が開き、レンズが立ち上がる。フォーカシングは前玉回転によって行う。距離計は存在せず目測である。レンズ銘板はアルミ製だがシャッターカバーは樹脂製だ。巻き上げレバーも樹脂製で廉価な素性を感じさせる。当然、巻き上げは裏蓋の赤窓を確認しながら行うことになる。シャッターのチャージはチャージレバーを引いて行うが、レリーズは軍幹部のレリーズにて行う為、外観の割にモダンな操作感である。フィルム室にはセミ版マスクを内蔵する。フィルムを傷つけがちな別体式のマスクに比べるとスマートである。セミ判撮影時にはフィルムの巻き上げはセミ判用の赤窓を確認しながら行う。ファインダーにはセミ判の指標を固定している。
 潔いシンプルな構成は好感触を持つ。目測の感覚さえ掴めればモダンなカメラと大差ない使用感である。但し、赤窓式の巻き上げは注意が必要で、しばしば駒数を読み飛ばしてしまう。巻き上げには慎重さが必要である。
                ☆           ☆
 拙僧がカメラ人生にデビューした頃にはペンタックスやマミヤの645判一眼レフが既にAFになっていた。カメラ雑誌によれば中判はライカ判に比べて大きなフォーマットを持ち、情報量の多い精密な写真を得る、上級者のカメラとされていた。しかし、そもそも中判カメラは裏紙で巻いただけのフィルムにオートマットも未搭載のシンプルな構造を可能としており、貧者の味方という一面も持っていたのだ。高度成長期の初期に日本で流行ったように、文革時代の疲弊した中国人民(老百姓)にとって心の拠り所となるプリミティブなカメラが本カメラであっただろう。何も高品質・高性能ばかりが心を癒すものではない。
 それにしても時代は一巡も二巡もしたのだろうか、今では中判フィルムを装填していると名古屋の若い連中に「ホルガのフィルム」と指を指される始末である。拙僧にとっては中判カメラが写しだす空気感は、結局のところ不安定なフィルムの平面性や解像度の低いレンズによって偶発的に得られるものだと思っているので、それほどネガティブな評価ではない。漢字で刻印された「紅梅」の文字や赤く刻まれた花のアイコンがキュートであるというのが、本カメラを手に取る積極的な理由であるのも良いことだと思う。
 最近では中国もレトロブームなのか初期の海鴎4Aもいい値段で売られているから、そのうち本カメラも値が上がるかもしれないな。

 では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2011/2/9)

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