太陽堂光機 ビューティモデル1


BeautyMODEL1
太陽堂としても初期の作品。

☆ジャンク度☆
蛇腹不良
シャッター不良
ピント不良
撮影可能


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 いきなりシャッターが粘っていたのでベンジン漬けにする。
 この段階でレンズをばらしているから、ちゃんと撮影できる可能性はかなり低いな。

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 蛇腹がお亡くなりになっていたのでマスキングテープを貼りまくってボンドを混ぜた墨汁でコーティング。
 勿論、折り畳みは出来なくなるのだが、光線漏れしなければOKだ。


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 レンズはドイマー(Doimer)80mmF3.5である。
 シャッターは最速1/200


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 意匠に凝っているのがファインダー。
 光学系はシンプルのようだが。


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 右肩にモデル名。
 ちょっとフランク6に似ている。


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 シックス判とセミ判の兼用。


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 バーンドアに薄らとモデル名が確認できる。

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 プレートでセミ判と切り替える簡素な方式。
 ファインダーには特に切り替えギミックは無い。


 太陽堂光機についてはよくわからない点も多いので、勘違いしていたら申し訳ない。拙僧のコンテンツなんて資料性は乏しいからご了承を。
 太陽堂の名が歴史に現れるのは戦後すぐのことで、当初はカメラの販売代理店を行っていたらしい。販売代理店が自社でカメラを作ったり、他社に自社ブランドのカメラを作らせたりするのは戦前から戦後の暫くまではよくある話だ。1948年には早くも太陽堂光機として16mmカメラを発売する。多分、進駐軍や北米輸出向けの販売が主だったんじゃないかな。実際、ビューティのブランドは北米でもメジャーのようだ。太陽堂光機はその後、牧歌的なボルタ判カメラからレフレックスコレレに似た中判一眼レフ、精密機器であったライカ判カメラまで幅広くランナップを揃える。有名なのは二眼レフのビューティフレックスだろう。これは多くのタイプが存在する。ライカ判だとカンターやライトマチック等をネットークションで良く見かける。ビューティフレックスでブランドを形成するまでの太陽堂光機は、ゲルトや東成光機にカメラを供給したり、東洋堂光機の工場を併合したり事業を拡張していった。ちなみにトヨカで有名な東洋堂光機は大井光機として現在も健在で、太陽堂光機が全ての東洋堂光機を併合したという訳では無いようだ。併合の後もトヨカブランドで中判カメラを発売している。多分、ビューティー6と中身は同じだろう。ファインダー部の意匠が凝っているのも本カメラと同じ傾向を感じる。
 1950年には早くも自社ブランドのビューティ6を発売している。これは東成光機のフランク6とほぼ同じものでオリンパス6に似たプリミティブなフォールディング(蛇腹)カメラである。本カメラは1953年に登場した改良型で、モデル名の「モデル1」はナンバー無しの初代に対して1番目という意味のようだ。ちなみに太陽堂光機のフォールディングカメラはこの2台で終了しているのビューティ6モデル2というモノは無い。恐らく二眼レフで成功したからだろう。正確には分からないが本カメラと初代のビューティ6はそれほど構造は変わらないと思われる。外観的な特徴は本カメラの方がファインダーの意匠に凝っていることで、立ち上げ式の逆ガリレオ式ファインダーが多かった当時としてはモダンである。傾斜したファインダー枠は武骨な真四角が大勢だった時代としては、なかなか美しいのではと思う。多分、レンズとかシャッターとかも変わっていると思われるが、現在の視点では大した相違はないんじゃないかな。
                ☆           ☆
 フィルムは120判を使うシックス判カメラだが、セミ判との切り替えが可能。これは単純にフィルム室を内蔵した板でマスクするプリミティブな方式。マスクが完全を取り外す方式に比べるとモダンである。ファインダーは接眼側のリングを回すとセミ判と切り替えできる。レンズは前玉回転式のドイマー80mmF3.5でシャッターは最速1/200まで。当時の低感度フィルムでは充分だったのだろう。ドイマー80mmは恐らく富岡光学の物で多くのカメラに供給しているトリローザ―と同じか近いものであろう。当然3枚玉じゃないかな。ちなみにドリマ―というレンズもあって、これは東京精機のドリマフレックスなどに使われている。太陽堂光機とは関係なさそうだ。シャッターはN.K.Kのイニシャルを刻印しているが詳しくは不明。恐らくプロンター型と思われる。
 拙僧の個体は蛇腹が擦り切れて使い物にならなかった。旧マミヤ6などはかなり古いモデルでもシッカリしているので、素材のクオリティがイマイチなのだろう。当時の価格で9800円。安い買い物ではないが、まさか太陽堂光機も半世紀も先まで使うモノ好きが要るとは思っていなかっただろう。それは当然である。拙僧の個体も蛇腹はお亡くなりになっていて、シャッターも粘っていた。蛇腹は折りたためなくなるのを承知でマスキングテープを張って木工ボンドと墨汁を混ぜたものでコーティング。シャッターはレンズを外してベンジンに漬けた。ひとまず光線漏れは無くなりシャッターは動くようになったが、レンズの組み付けがいい加減なのでフォーカスが不正確になってしまった。また、ネガを見る限りシャッターも不安定のようである。何せ半世紀以上も前のカメラなので致し方ないな。これが蛇腹を自分で組める技術のある方ならちゃんと直せるのだろうが、拙僧には限界である。
 ビューティフレックスは大成し、様々なブランドで多くのモデルが存在するが、フォールディングカメラのシリーズは本カメラで終了し、あまり成功しなかったようだ。もっとも、兄弟のようなフランク6やトヨカ6も存在するから、それなりに需要はあったのだろう。

                ☆           ☆

 太陽堂光機は1957年に一度倒産、その後ビューティカメラとして再建するものの1960年代には姿を消す。正確に何時頃消滅したのか分からないのだが、キヤノネット(初代)に似たビューティライトOマチックを出しているので、多くの消滅したメーカーと同じようにキヤノネットの登場で立ち行かなくなったのだろう。
 ところで拙僧にとって太陽堂といえば新宿にあったカメラ屋であった。中古も扱っていたがフェドに「フェード」などと名前を付けてエラク高く売っていたので実際に買ったことはない。本店は神保町で太陽堂光機も神保町にあった。関連性はよくわからないのだが、無縁ではないだろう。2012〜2013年頃に神保町の店にも行ったのだが、リーズナブルで良心的な店に見えた。しかし、残念ながら2013年に閉店してしまった。今思えばレオタックスの一台も買っておけばよかったと、ちと後悔するのだ。

 では、撮影結果もご覧頂きたい。

(了:2015/11/9)

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