京セラ Pmini3について


Pmini3
知る人ぞ知る廉価3枚玉の名士

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


Pmini3 Pmini3
 京セラブランドの32mmF3.9を搭載。
 この3群3枚はイイですよ。

Pmini3
 ダイヤルスイッチでレンズカバーが開き、電源ONとなる。

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 レンズが伸長しない扁平ボディが小顔を演出する。

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 ゴム系ボタンの操作系は情緒としてはイマイチか。

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 光学ファインダーはシンプルで見やすい。
 「P」が緑色なのは若さの演出か?

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 電源は単三電池2本。

 「21世紀はブランドマーケットの時代である」とのたまってみても、どこの市民講座でも失笑だろう。そんなことは当たり前で、そうでもなければインドの自動車メーカーだって宗主国のブランドなんて買うものか。カメラの分野では戦前からメーカーはブランド力の浸透に苦労していた。我々のような戦争を知らない世代にはピンとこないのだが、戦前・戦後初期にはメーカーよりもセラーのブランド力の方が強かったようだ。なので、あの日本光学と双璧を築いていた(らしい)東京光学だって、プリモブランドを借用していた。今でいえばオリンパスがダイエーブランドでデジタル一眼レフカメラを売っているようなものだ。その後、経済成長と共にメーカーはちゃんと自社ブランドで健全(?)に販売が出来るようになるのだが、やがて淘汰の時代がやってくる。小西六に続く歴史を持つ栗林つまりペトリは解散し、前述の東京光学つまりトプコンはコンシューマカメラから撤退してしまった。世界的な視野に移すと、破竹の勢いで進撃する日本工場製品の前にヨーロッパ勢が淘汰されてしまう。特に、日本人にとっては憧れていたドイツ(西ドイツ)の没落は日本人にとってもショッキングな出来事であった。現在のように猫も杓子もランチェスター戦略や「もしドラ」の世の中ではないから明示的に特定のニーズを狙い撃ちしたわけではなく、自動化した大戦略で余剰になった空中機動歩兵が勝手に敵の首都を占領していたように、日本メーカーにとっても不意だったようである。そこで日本メーカーはヨーロッパ企業との合併、或いは提携を行った。これはカメラメーカーに限った現象ではない。ただ、どうも合併にしろ提携にしろ「自社のブランド力、或いは技術力の弱さを補完するため」という分かりやすい動機と、そうでない動機があるような気がする。例えば日産がアルファロメオと合併会社を設立したのは殆ど知られていないが、これなども日産に明確なメリットがあったと思えない。我々の分かりやすいところではミノルタのライツとの提携である。ライツの方はミノルタの一眼レフ開発や品質管理で潤ったように見えるが、どうもミノルタがCLEや供給したズームレンズで儲けた風には見えないのである。なんだか、近年の我々のように「憧れのブランドが今や廉価な価格帯でお近づきに」と同じ動機のように思えるのは、拙僧の浅はかな経済知識からだろうけど。
 ヤシカのツアイスとの提携は分かりやすい。ツアイスと言えばなんたって神格化されるほどのブランドである。ヤシカエレクトロ35で一定の成功を得たヤシカだったが、高級機の代名詞である一眼レフでは橋頭堡を築けずにいた。これは喉から手が出るほど欲しいブランドだ。ヤシカも「ペトリみたいになったらどうしよう」と思っただろう。それに、現在のハマーブランドやフェラーリブランドの折り畳み自転車と違って、中国の山間部の漢字の読み方も分からない工場(こうば)のブツを黄色や赤に塗ってロゴを貼りつけたわけではない。ちゃんと光学設計もドイツクオリティでやっていたのだ。と、物の本には書いてある。なのでコンタックスRTSの登場に神州は湧いたそうだ。もっとも、ロイヤリティも高そうだしヤシカがどれだけ儲かったのかは怪しい。なにせ、やがて京セラに吸収されてしまうからだ。ヤシカにしろ京セラにしろ、ブランドの身の程を知っていたので高級機にはコンタックスやT*を奢っていたが、普及機には自社ブランドを与えていた。京セラなんて自社ブランドよりもヤシカの方が覚えが良いと考えたらしく、海外向けにはヤシカブランドを大切にして(たかどうかは怪しいが)踏襲した。日産が「DUTSUN」を保持するが如しだろう。なので国内向けは京セラブランドで海外向けはヤシカブランドというカメラが多く見受けられる。そもそも、ヤシカブランドの一眼レフだって共通するコンタックスブランドのカメラが存在するらしいので、なかなかフレキシブルな商売をしていたのだろう。
                     ☆                 ☆
 P−miniシリーズは固定焦点(パンフォーカス)の廉価カメラとしてスタートした。とはいってもレンズは3群4枚の32mmF3.5と立派な物で、2群2枚の「写るんです」に毛が生えたようなトイカメ寸前の物件とは一線を画す。その後、3〜4ステップのプリミティブなAFを搭載したP−miniAFになり、再び固定焦点のP−mini2へと続く。本カメラに至ってはレンズが32mmF3.9の3群3枚と簡素化したが、AFロックも可能でステップ数も充分な普通のAFコンパクトカメラとして使える代物になっている。ルックスも煮え切らないエルゴノミクススタイルから、フラットなフロントパネルが印象的なシンプルで精悍な顔つきになって、小顔でいかにも写りそうだ。こういうのはよい近代化である。
 ボディは前面がメタリック、後面がブラックで小型ボディをより一層引き締めている。グリップは僅かに張り出してラバーを貼っただけだが、妙な出っ張りを形成するよりもクールである。これは本当に冴えたものなのだが、フラッシュ発光禁止を設定できる。無論、電源OFF時には忘れてしまうのだが、待機電流はきわめて少ないだろうから、ホットなステージなら電源ONのままでよいだろう。そんな最低限の機能すら持っていないロクデナシも存在するのだ。電源ONはレンズしたのダイヤルスイッチにて行い、機械的にレンズカバーが開く。AFは遠景でやや怪しいがスナップ域での撮影はほぼ問題ない。スリムTなんかに比べたら遥かにあてになる。プリミティブと思える3枚玉だが、モノクロネガをフラットヘッドスキャナで読み込む限り、スカッとした申し分のない写りである。一体、いくらで拾ったか記憶にないが、まず500円を超えるとは思えない。それほど見かけるモデルではないが、500円以下なら拾う価値はあると思う。
                      ☆           ☆
 京セラがコンシューマカメラから撤退して、既に一昔が近づこうとしている。京セラの撤退は利ザヤというより内紛的な問題だったという説があるが、商売が順風満帆なら止めないと拙僧のような素人は思うな。
 その後、ヤシカブランドは香港だか大陸だかが買い取って、妙に安普請なフィルムスキャナーやトイデジムービーカメラがネットオークションで頻繁に見かけたが、最近は沙汰が無い。「京セラ破れてヤシカあり」と行ったのか行かなかったのか、ちょっとは興味を持つところだな。

   では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2012/5/5)


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