フランケ&ハイデッケ ローライ35LEDについて


Rollei35LED
通好みのローライ3姉妹の末娘。

☆ジャンク度☆
露出計不良
撮影可能


Rollei35LED Rollei35LED
珠玉のトリオター40mmF3.5。
フロントパネルに目立つのがレンズと光学ファインダーだけというのもシンプルで良い。


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沈胴する鏡筒を一時期は憧れた。
今となっては、ちょっと面倒かな。


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バランスの悪さを感じるのが軍幹部の露出計だ。
拙僧の個体は露出計も壊れているので、いっそ無い方がよかった。


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機能はシンプルなのだが、ちょっとごちゃついたルックスに見える。
やっぱり、底部のホットシューや巻き戻しノブの配置が煩雑だからか。


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巻き上げレバーは上部にあるので、普通に使っている分には制約を感じない。


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ホットシューの他に電気接点を持つが、本カメラで本気でフラッシュ撮影するのは無粋というものだろう。


Rollei35LED Rollei35LED
 裏蓋が一体となって外れるタイプ。
 フィルム室から見るレンズ周辺部のメカがお茶目。


Rollei35LED
取説の他、リペアマニアルの入ったCDが付属していた。
ちょっと拙僧が分解するには荷が重すぎる。

 本カメラは元祖高級コンパクトカメラであるローライ35の中でも廉価なクラスである。レンズも3枚玉であるトリオター40mmF3.5を登載する。ローライ35と言えばテッサー40mmF3.5を搭載したローライ35Tや、高級レンズのゾナー40mmF2.8を搭載したもローライ35S/SEが、あまりにも有名である。それぞれのコンテンツでローライローライ35の成り立ちと軌跡を紹介したので、本コンテンツではトリオターを搭載した本カメラのシリーズを簡単に紹介したい。
 初代のローライ35が登場したのが1967年である。ちなみに携帯性の高い小型ボディのカメラとしてしばしばオリンパスペンやペンEEとローライ35を比べるコンテンツを見受けるが、オリンパスペン(初代)が1959年の登場で、ペンEEが1961年の登場だから、ちょっと時代が異なる。既に1960年代から日本製のカメラは電子化に進んでおり、小型ボディのカメラとしては完成域に達したコニカのC35が登場している。確かにローライ35シリーズの方が体積からすれば小さいかもしれないが、何かと使い勝手の悪いカメラであり、小型ボディという特性が高い運用性を望んでいるとすれば、ローライ35シリーズはそれほど携帯性に優れいているとは思えない。コニカC35ならプログラムAE(EE)と距離計を組みあわせている。ローライ35シリーズが特筆なのはツアイスのレンズを搭載している事だろう。つまり、テッサーとかゾナーとかを携帯するとしたら、ローライ35シリーズが序列的に小型だということだ。そうすると、トリオターというツアイスでも廉価なレンズを搭載した本カメラの魅力が薄く感じてしまうが、そんなことは全くない。
 1969年には早くもローライ35(初代)の廉価モデルとしてローライB35が登場する。これは本カメラの直系の先祖と言っていい。レンズはトリオターを搭載し、スローシャッターを省略した。ローライ35(初代)ではCds素子のゴッセンの連動式露出計を搭載していたが、セレン素子の読み取り式露出計を搭載している。かなり大胆なダウングレードだが、ローライ35(初代)の特徴であるフロントパネルに並ぶ3つのサークル(絞りリング、レンズ、シャッター速度)がレンズのみとなり、シンプルで伝統的なカメラのスタイリングに整っている。拙僧が若い頃は主張の強い3つのサークルに松本零士メカ的な魅力を感じたが、現在ではトリオター系のオーソドックスなスタイルの方が好みである。更に露出計まで省略したローライC35が登場する。現在で運用するには露出計はあまりあてにならないし、問題を抱えている個体も多いのでローライC35はスイートに思える。しかし、製造数が少なかったりして、割高のようだ。
 本カメラの登場が1978年である。「ローライ35LED」の名の通り、基本的にはローライB35の露出計をSPD式でファインダー内のLEDで適正露出を確認できるようにしたものである。ちなみに1979年には画期的なカプセルボディのオリンパスXAが登場する。もうそろそろローライの旗色が悪くなってくる頃だな。1975年には距離計連動AE機のローライXF35を導入しているが、日本製なのではと言う噂も高い。1979年にはローライマットFが登場するが、これは完全に日本製廉価カメラである。ローライ(フランケ&ハイデッケ社)は会社としては1981年に倒産したが、翌年には再生したらしい。しかし、その後は日本や韓国にブランドを切り売りした形跡があって、道のりは良くわからない。我が国ではメジャーでないが、シックス判の一眼レフである6000系は地道にモデルチェンジを繰り返して持続しており、コンパクトカメラのブランドを切り売りして糊口を凌ぎながら技術的なノウハウと人材は継続したのだろう。拙僧のような臣民がローライのブランドを再認識したのは旧世紀末あたりである。中古カメラブームにおいてローライフレックスは注目の的であったが、現行で販売を続けていたという事実は黙殺されていたと思う。それがローライフレックス4.0FWの登場や、ベッサR2をベースにしたローライ35RFの登場で「今でも御健在」という認識となった。フィルム資源が完全に駆逐され、デジカメ時代になって以降のローライブランドがどうなったのかよくわからないのだが、恐らく6000系のボディにデジタルバックを組わせてヨーロッパのスタジオあたりでは健在なのではないだろうか。
                 ☆           ☆
 「ドイツのマイスター精神は妥協を許さなかった故に日本製の安カメラに埋没した」みたいな言い方をなさりたい気持ちはわかるが、ローライもフォクトレンダーもツアイス(イコン)も廉価モデルや電子化によるイージーカメラを模索し、未練がましくも生き残るために必死だった。決して気位が高いままに消滅したのではない。生命体が生き残るように企業も必死だったのであり、嘲笑には値しない。レンズを3枚玉にしたくらいでは日本製廉価カメラに対抗できなかった。日本のメーカーだって必死だったのだ。
 拙僧の個体は露出計不良のものがネットオークションで4000円ほどだった。近代においても4000円の値をつけるトリオターが立派とも言えるし、フィルムカメラが高架だった時代にテッサーのローライ35Tに手が届かず、苦渋の決断としてトリオターのローライ35を手に入れた方にすればがっかりだろう。複数の評価の仕方があるだろうが、そもそものフィルム資源がますます厳しくなった現在である。素性は兎も角、活発に使いたいものだ。

 撮影結果(歌舞伎祭り編)もご覧頂きたい。

(了:2014/02/20)

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