ペンタコン プラクチカ スーパーTL1000


PRAKTICA_TL1000Super

☆ジャンク度☆
ファインダーに腐食有
撮影可能


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清く美しい、スクエアボディ。

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 これが本家のプラクチカマウント。
 本カメラは絞り込み測光TTL露出計を搭載している。

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 この素っ気ないロゴもまた魅力だ。

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 案外、しっかりとして作りだが、感度設定ダイヤルの建付けは怪しいな。

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 由緒正しき東ドイツ製。

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 このボディンで巻き上げる、オートローディング機構が不思議と動作する。

 拙僧はペンタックスのスクリューマウントを「プラクチカマウント」と呼んでいる。といっても、昔のコンテンツは統一していないかもしれないな。一般的には「M42マウント」と呼んでいるのだが、アルファベット+数字というのは情緒が無いのと、内径42mmのネジマウントがペンタックスSPやゼニットに付くとは限らないので「プラクチカ」の名を持ち出しているのだ。
 実際の所、ワークホースとして使うならペンタックスSPあたりが無難であろう。ペンタックスSPは旭光学(当時)も戦略的に勝てるボディとして社運を賭けたところがあり、それ以前のペンタックスSVやペンタックスS2に比べて飛躍的に信頼性が向上している。なので、ファインダーが汚れていたり、電池蓋が液漏れで固着したり、シャッター幕が少々寄れていても、撮影可能な個体は多い。2000円も出せば、普通に新宿か中野で動く個体を撃破も可能であろう。しかし、それでもソビエトやコメコン圏に儚い魅力を感じてしまうのである。かつてコメコンなんていう経済圏があったことは、平清盛のバックグランドがイマイチフィットしないのと同様、歴史の彼方だ。割とゼニットはネットオークションでも動く個体が出没するのだが、プラクチカの出現頻度はやや落ちるようだ。とはいえ、あれば500〜2000円程度であろう。拙僧個体は落札価格で310円だった。レンズ付きだと高騰する場合もあるが、ボディはそんなもんである。
                ☆           ☆
 製造会社はペンタコン人民公社である。これは東ヨーロッパに取り残された、他の光学機器メーカーと共に共産政府によって統合されたものである。プラクチカシリーズが興ったのは、ペンタコンに統合される前の前身の「カメラ・ウェルクシュテーテン・グーテ&トルシュ社」の手による。名前がややこしいので「KW社」と称するのが一般的である。創業は1915年とロシア革命の直前である。欧州全体が混沌としていたのだろうが、カメラ業界も混沌としていたようで、KW社も経営陣がちょいちょい変わって、社名も修正している。そもそも、創業者がユダヤ系ドイツ人だったというのも、歴史の不穏な空気を感じるな。運が無かったのは東ブロックのドレスデンに拠点を置いたことで、第二次世界大戦後には国有化され、先の通りペンタコンに吸収された。
 プラクチカの祖先を辿ると、プラクチフレックスにあたる。出現は諸説があるが1930年代後半のようだ。これはプラクチカマウントによく似たスクリューマウントだったが、口径がやや小さくM40マウントと称される。無論、自動絞りもクイックリターンも無く、プリミティブな一眼レフカメラである。プラクチカのネームシップが登場したのは1949年である。似た名前のプラクチナという一眼レフカメラが存在するが、これはプラクチカよりも上位のシリーズとして出発したようである。登場は1952年でファインダーは交換式でスピゴットマウントを採用したらしい。システム化も意欲的だったが、東側では需要が無かったらしく1960年にはシリーズが終了している。初期のプラクチカはウェストレベルファインダーであり、軍幹部が甲冑めいていてとてもカッコいい。コロッとしたエクサに比べて、直線基調がシャープで冷淡な共産兵器を思わせて心地よい物である。拙僧とはまるでアプローチが違うが、この小顔で媚びないボディラインがカメラ女子(男子も)をしばしば魅惑するらしく、ネットオークションでも結構いい値段になる。
 本カメラは1980〜1984年に登場したモデルである。自動絞りでクイックリターンに対応しており、絞り込みながらTTL測光の露出計を搭載している。随分、近代的な戦闘に堪えるようになったが、なにせ1980年登場のカメラである。1983年にはニコンFE2が登場している。これを「東側の怠け者の仕事」と一笑するのは簡単だが、それも浅はかという物だろう。今は大分事情が違うだろうが、1990年代半ばに新疆ウィグルで単車に乗った幸福125は、エンジンはホンダのコピーだったがフレームは安っぽいスチールだった。しかし、かの地では部品供給も滞り、ハンマーとかアーク溶接で修整できないフレームだと都合が著しく悪いのだ。アルミフレームの出番ではない。適材適所なのである。電子部品何て壊れたら、いつ部品が入ってくるかもわからない。逆にRAV4が大陸で評価が低いのだが、あちらは郊外に出れは砂漠同然なのだから、カジュアルRVには荷が重いな。
                ☆           ☆
 外観は当たり前のペンタプリズム搭載した軍幹部になってしまった。実際にライカ判一眼レフをウェストレベルファインダーでフォーカシング・フレーミングするのは、なかなかの仕事だから正常進化である。惜しいのがファインダー内に腐食がある。不思議なのは腐食は小さいのだが、その周辺が半透明の青色に変色しているのだ。半生の腐食なのだろうか?半透明なのでフレーミングにはそれ程困らない。ファインダー右端には「+ ○ −」の指標と露出計針を表示する。使い方はペンタックスSPのような一般的な追針式と同様である。レンズを任意の絞りに設定し、レリーズボタン上部の絞り込みレバーを引いて絞り込んだ状態になると露出計がONし、針が「○」に一致するように絞りリングなりシャッター速度設定ダイヤルなりを回転する。レンズの絞りとの連動機構もペンタックスと同様な仕組みになっているので、タクマーの使用が可能だ。ゼニットの一部のように、マウント座金にネジを埋めるようなことは無いので、取り外しが出来なくなるような事態にはならないだろう(多分)。ファインダーは中央にスプリットイメージ、その周辺にマイクロプリズムを配置し、中央以外はマット面としてフォーカシングが可能である。モダンな一眼レフのたたずまいだが、1984年まで発売したモデルだしねえ。
 スクエアボディは人間工学を配慮したぐにゃりボディと一線を画すが、適度な緊張感を持った方がホールディングに貢献する気がするな。やけに軽いが、上下カバーは樹脂のようだ。圧縮した段ボールでないだけでもマシだろう。巻き上げはスムーズだが、最後のチャージで金庫を占めるような「ガチャリ」という音とショックを感じる。シャッター音も甲高いが、靖国神社の鳩が一斉に飛び上るほどではない。斜めに押し込むレリーズボタンも見た目ほど違和感なくシューティング可能だ。ペトリの時には、かなり違和感を感じたが、拙僧が歳を食って慣れたのかもしれないな。
                ☆           ☆
 ネット上では何かと評価が低いが、近代的な撮影にもそこそこ耐えるだろう。拙僧の個体もプリズムに腐食があるが、それはオリンパスだってキヤノンだって同様の個体はある。情緒的な潤いを求めるなら、コメコン物は避けるのをお勧めする。e−bayで博打するカメラではない。
 無論、こういうカメラで息子さんの運動会など失敗できないシーンを撮影してはいけない。そういう用途には数多のデジカメが転がっている。
 しかし、拙僧も歳をとったもので東ベルリンの壁が崩れてから四半世紀が経とうとしている。こういう在りし日のコメコン物工業製品に思いを馳せるのも、懐古趣味なのだろうな。ミグなら博物館で眺めるしかないが、カメラなら所有が出来る。

 では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2012/5/30)

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