京セラ 230AFについて


Kyocera230AF
ガンダム風のセンスのかけらもないスタイリング。

☆ジャンク度☆
ミラーずれ
なんとか撮影可能(か?)


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 専用フラッシュを外すと、それなりに見れたスタイリング。

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 しかし、この専用フラッシュのスタイリングはないだろう。
 ここから結構な勢いのビームを発射するのはZZガンダムだったか。


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 電池室兼グリップには2CR5を格納する。

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 α7000とほぼ同期の草創期のAF一眼レフカメラである。

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 ミラーがずり下がってレンズと干渉するのはコンタックスと同様の不具合だ。


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 AFは遅いのだが、合焦するだけで大した時代だったのである。


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 左肩にモードボタン、右肩にシフトレバーを配置して諸情報を設定する。
 あまり感心した操作系ではないが、α7000だって似た様なモノだった。


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 専用フラッシュにガイドナンバー表を貼りつけている辺り、自信の無さを感じさせる。
 フラッシュを外せば常識的なホットシューが露わに。


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 ガンダムというよりザンボットスリーとかイデオンの世界観かな。
 何れにしろ日本サンライズな感じだ。


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 この穴はレリーズケーブル用だろう。


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 無論、オートローディングである。


 京セラブランドのカメラである。京セラはコンタックスブランドを吸収したヤシカから引き継いだのだが、海外ではコンタックス以外の普及機(そこそこの高級機も含む)にはヤシカブランドを残した。その方が通りがよかったのであろうか。日産もダットサンを残したしな。しかし、ヤシカのカメラというとレンズシャッター機は丈夫だが、一眼レフはプラクチカマウントの物も含めて丈夫とは言えない。試しに中古カメラ市でジャンクコーナーに転がっているヤシカのプラクチカ機を3台くらい弄ってみるとよい。最初は順調にシャッターが切れているように見えるが、その内シャッターが閉じないとかミラーが上がったままになって巻き上げができないとか、何かしらの理由で全てのカメラが使い物にならなくなるだろう。安心できるのはFX−3シリーズくらいだ。そういう理由もあってヤシカはメジャーブランドになれなかった。コンタックスブランドを手に入れて一時代を作りかけるが、会社の内情は火の車で京セラに身売りをすることになる。1983年のことだ。なんでも京セラの社長がヤシカに視察に来た時にはヤシカの社長は上機嫌だったらしい。社長業も大変で社員の生活も考えなければだから、これで重荷が晴れると思ったのかもしれないな。
 ヤシカがAFを搭載した試作機を出したのは1982年である。コンタックス137をベースとしてハウネルのモジュールを組み合わせたようだ。それは当時としてはそれなりにできたものだったらしいのだが、ツアイスはAF一眼レフカメラにコンタックスの名を付けることを許さなかったらしい。なんでもマウント部がプラスチックだったり、コンタックスの要求するクオリティを満たさなかったと言われるのだが、拙僧個人はドイツ人が心情的に日本人に技術で先行されるのが面白くなかったんじゃないかな。ライカの一眼レフカメラがAF化するのはデジカメ時代まで果たせなかった。翌年にはヤシカは京セラに吸収されてしまうし、現場は混乱したのではないだろうか。それでも粛々と仕事を続けて製品化の目処がついたのだが、1985年には有名なαショックをもろに受けてしまう。それまでのAF一眼レフカメラはMF時代のマウントを継承し、専用レンズでやっつけ仕事的にでっち上げたものだった。AFなんてMFの補佐くらいにしか考えていなくて、合焦は遅く成功率も低かった。代表的なのはキヤノンT−80で、これだってよく纏まったほうだった。しかし、ミノルタはマウントを一新し本格的なシステムも構築した。何よりも、ハウネルの作法を良しとしなかったので、独自の技術でまとめ上げた。よって、後のニコンF501やオリンパスOM707よりも精度の高いAFを実現したのである(当時)。しかし、結局はハウネルからの提訴に負けてしまって、飛ぶ鳥を落とす勢いだったミノルタが衰退する初めの一歩になってしまうのはよく知られた話である。ニコンもオリンパスも他の多くのメーカーもハウネルのモジュールをそのまま使った訳ではないのだが、やはりハウネルは多額の損害賠償金をむしり取っている。ハウネルの横暴を避けられたのはキヤノンとリコーとシグマくらいらしいのだが、本ページでは話が広がり過ぎるので割愛させて頂く。そのうち、ミノルタα7000のコンテンツでも作るときに展開させて頂こう。
 本カメラの登場は1986年である。京セラ初のAF一眼レフカメラだが、ミノルタには1年先を越されてしまったな。ニコンF501やオリンパスOM707が同世代だが、共にα7000には惨敗してしまった。コンタックス137−AFで技術的には先行したのだが、やはり京セラへの吸収は何かと現場を混乱させたのだろう。本カメラはインターフェイス周りがミノルタα7000に似ているせいか、ミノルタからの協力があったという説がある。拙僧は懐疑的だな。確かに左肩に撮影モードや露出補正、フラッシュモードのボタンを配置し、それを押しながら右肩のスライドスイッチで調整するインターフェイスデザインはα7000と良く似ている。特に左肩のボタンは並び方と言い細長い四角形の形といいα7000そっくりだ。右肩のスライドスイッチはα7000では上下のボタンになっているが、レリーズボタンの後ろにある配置は同じものである。しかし、ミノルタの技術が入っているのだったら、もう少しAFユニットの出来がマシになっている気がするな。それに、ミノルタとしても旨味が全くない。ただ、京セラへの吸収時にAF開発のコアとなっていた人材が破格の待遇でキヤノンに引き抜かれたという話はあり、残った現場の方々は相当苦労しただろう。本カメラは実質的に試作機だったコンタックス137−AFに多少の手を加えた代物だったらしく、完成度はそれほど高くない。そういう意味でもミノルタの協力説は無いだろう。
                 ☆           ☆
 AFはボディ内モーターで駆動する。レンズにステッピングモーターを搭載して、レンズ内モーターを実現できたのは、後出しじゃんけんで勝ったキヤノンくらいだろう。マウントはいわゆるヤシコンマウントを捨て、AF機専用のマウントを立ち上げた。レンズに絞り環は無くボディ側で制御する。何でもヤシコンのレンズを使える1.6倍のテレコンアダプターがあったそうだ。肝心のAFユニットだが、精度はそれなりである。合うには合うのだが、顕著に苦手な被写体があるし合焦しないとレンズを最短から無限遠まで行ったり来たりする。高価なリチウム電池が消耗していると思うとケチな拙僧などは身が詰まるな。駆動音も大きいし合焦速度も遅い。実際のところMFでフォーカシングした方が速いくらいだ。創世記のAF一眼レフカメラのファインダーはピントの山が掴みやすく、AFがちゃんと合っていることをアピールしてるのかもしれないが、諦めてMFでフォーカシングするにも貢献している。これはミノルタα7000でもキヤノンEOS600系シリーズでも同様だ。逆にMF機として使ったらイイカメラだなあとさえ思ってしまう。
 本カメラで批判的なのはその外観である。本カメラのスタイリングを一段と奇妙にしているのはその専用フラッシュであり、そのペンタ部を延長して尖った姿は合掌造りにも見えてしまう。80年代のカメラのスタイリングは程度の差はあれガンダムの影響を受けているが、本カメラは顕著だ。今にもフラッシュ部から粒子ビームを発射しそうである。この専用フラッシュは脱着式でフラッシュを外すと常識的な外観になる。フラッシュをペンタ部に格納するというアイデアはペンタックスSFXの登場を待たなければならない。レンズのフォーカスインディケーターが真上よりも右側にオフセットしているのも本カメラを語るうえでのトリビアだが、これはリーゼントのように突き出た専用フラッシュの為に、真上からだとフォーカスインディケーターが見えないから、そういう配置になった思われる。
 レンズはツアイスに準じているとしているコンテンツもあるが、拙僧は懐疑的だ。多分、富岡光学(京セラオプティクス)が作っているから、それなりにクオリティの良い写真を描くのだろう。京セラのAFカメラのレンズがコンタックスと同様というのは都市伝説の類だな。レンズのラインナップは殆どがズームレンズで、単焦点は24mmF2.8と28mmF2.8と50mmF1.8くらいである。これらを見つけるのは極めて難しい。24mmF2.8に至っては拙僧は現物どころか画像も見たことが無い。以前、キタムラのネット中古で28mmF2.8を見つけた時、本気で確保を考えたが、7000円も払って本気で本カメラを使うかというとそれは明らかにありえないので踏みとどまった。
                 ☆           ☆
 ヤシカの一眼レフカメラは壊れやすかった。しかし、京セラはその特性まで踏襲している。MF一眼レフのコンタックスからコンタックスTVSのような高級コンパクトカメラまで京セラのカメラはよく壊れる。本カメラも例外ではない。突然死は年代的にも仕方ないのかなと思うのだが、生きてそうな個体もミラーがずり下がっている場合がある。これはミラーのショックを軽減するためにモルトを経由して基部にミラーを貼りつけているのだが、これが経年劣化で下にずり落ちるのだ。こうなるとレンズの後玉と干渉してミラーが完全に上がらなくなる。そもそも、シャッターユニットも不安定でネガの2/3が真っ黒な時もあった。
 京セラが何故カメラ事業に手を出したのか、今ではわからない。しかし、安原氏の著書にも少し綸片が乗っているのだが、内部事情的にも京セラのカメラ部門は安定していなかったようだ。
 コンタックスのレンズはヤシコンマウントの物もGマウントの物もミラーレス一眼にアダプター派の方々が関心深いお蔭で高騰しているが、勿論、本カメラやレンズが話題に乗ることはない。

 

(了:2015/10/29)

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