興和 コーワSE


KowaSE

☆ジャンク度☆
シャッター不良
撮影不可能に


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 研究用に完全ジャンクを格安で追加。結局、両方とも完全ジャンクに。

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 コーワ分ランドのレンズは50mmF1.9。

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 露出計はcds式。電池はMR−9を使用。

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 シャッター速度と絞りはレンズ基部で行う。

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 ボディ上部はシンプル。

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 裏蓋は爪を押し上げるタイプ。

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 レンズシャッター機の特徴的なミラー遮光部。

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 古いカメラなので電気周りはシンプル。

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 露になるレンズシャッターユニット。

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 余ったネジ。

 興和がかつてカメラを製造していたことは有名である。身近なところでは薬局の店先で蛙のコルゲンコーワで認知されているが、現在でもプロミナーブランドのスポッティングスコープや産業レンズで光学分野の一角を担っているようだ。拙僧が八王子時代、興和に勤める単車仲間がいたが、自分の会社がカメラを製造していたことを知る方は少なかった。唯一、年配の友人が「蒲郡じゃねえの」と言っていたが、本当のところは良く分からない。だが、愛知県から興ったことはメーカーの公式コンテンツからも確かなようだ。
 そのコーワのカメラは欲しかった。コーワSWのような魅力的なコンパクトカメラもあるが、コーワと言えばレンズシャッター一眼レフカメラである。中判では現在でも存在感のあるレンズシャッター一眼レフだが、かつてはライカ判にもレンズシャッター一眼レフが開花した時代があった。これは全速でストロボが切れるといったレンズシャッターの利点を生かすと言うよりは、精度の高いフォーカルプレンシャッターが高額だったという事情があったらしい。これは現在の視点からすると不思議な次第で、レンズシャッターで一眼レフを実現するのは厄介なのである。つまり、

1.レリーズボタンを押下する。
2.シャッターを閉じる。
3.絞りを絞る。
4.遮光板を待避する。
5.ミラーを待避する。
6.シャッターを開く(露光する)。
7.ミラーを下げる。
8.シャッターを閉じる。
9.遮光板を起こす。
10.絞りを開ける。
11.シャッターを開ける。

と、これだけの工程が必要なのだ。これは大判カメラやプレスカメラですりガラスを使用した撮影手順をレリーズボタン押下によって実現することになる。必然的に部品数も増え、故障率も高いのではと思うのだが、それでも当時はレンズシャッターユニットの方が安く入手が簡単だったのであろう。国産ではトプコンやリコーの初期のモデル。海外ではレチナフレックスやコンタフレックスが知られている。
 それでコーワだが、やっぱり壊れやすい。拙僧は初めにコーワフレックス(初代)を手に入れたが、これは空シャッターを切っているうちに「ぶちっ!!」っと何かが切れたような音がして壊れ、三文で処分した。その後にも、コーワのプロミナーと言うブランドに魅かれ(実際にコーワの一眼レフにはプロミナーブランドは謳っていないが)次に手を出したのはペンタ部のセレンメーターが光るコーワE。これはシャッターが「ぱこーん」と元気な物の、露出計は不動。どうも、分解歴があるみたいで安心は出来ないのである。それでも、そのうち使おうと思っていたのだが割安の本カメラを手に入れてしまったのである。
 本カメラは基本的にはセレン素子だったメーターをcds素子に正常進化したものである。実際にはこの間にキヤノンみたいなトリガー巻上げのコーワHが存在するが、まあ、これは派生モデルといえるだろう。本カメラのレンズは固定式でコーワブランドの50mmF1.9がオフセットされている。オプションでワイコンやテレコンも用意してあったらしい。後裔のコーワSERでレンズ交換が可能になり、コーワSETでTTL測光を実現している。本カメラは外部測光で軍幹部の受光素子の窓がチャームポイントになっている。最小絞りはF16でシャッターは最速1/500である。感度はISO400まで設定可能である。
 当初から1回レリーズするとシャッターが開かず、2回目の巻上げで自動的にシャッターが切れてしまうトラブルに見舞われた。これも困った問題なのだが、もっと深刻だと思ったのがファインダーが見え辛いのである。とてもまともにフォーカシングに耐える物ではないのだ。中央のスプリットイメージで合わせられなくも無いのだが、それでも暗くて大変である。なので、この個体はレンズに問題があるのだと思った。1枚足りないのではと思わせるほどなのである。そこで格安のジャンク物を手に入れることにした。
 1ヶ月もしないうちに巻き上げ不良のジャンク物を送料込1000円で手に入れた。練習用としてはまあまあな価格帯だろう。そこで驚いたのがファインダーの見え具合が初めの物と大して変わらないのだ。つまり、これは仕様なのである。レンズに問題があるとも思えないのでフォーカススクリーンが劣化したのだろうか?兎も角、見え具合は諦めることにした。
 その後、年末年始を利用して研究用の2台目をばらす事にする。結論から言うと、この個体はレンズシャッターユニットのチャージレバーが欠損しているので部品取りにしか使えないことが分かった。尤も、構造が理解できたかと言えばそんな事は無い。まず、完全に復旧できない状況にした後、ネジを余らせながらとりあえず組んだだけだ。これなら1台目の修繕も絶望的だろうな。しかし、そう思って1台目の空シャッターを切ってみると、壊れていないのである。どうやら、同族の無体な姿を見て我が身を直したようなのだ。こういうことはジャンクカメラを弄っているとよくある事なので、そのまま本番撮影に使うことにした。
                ☆           ☆
 さて本番撮影である。姪の発表会というハレの舞台を何時壊れるか分からないレンズシャッター一眼レフで挑むのも一式陸攻でサイパンに突入するようで快い。勿論、本カメラに詰めたのはカラーネガ、センチュリア200である。メインはコシナCT−1に28〜200mmでプレスト400を詰めてある。一見万全だが、CT−1も今回がデビュー戦なので、どんな結果が返って来るかは神のみぞ知るだ。チェックの時には動いていた露出計の針がファインダー内に現れないので焦る。CT−1より一段遅いだけなので、CT−1で測った露出値に修正を加えれば何という事は無い。原因は電池の+−を逆にしていたというへぼちょいトラブルであったが、これは帰宅後に気づいたことだ。
 まずは前列の女の子らを押さえで撮る。姪を撮るのはその後だ。ところが撮影中に異変に気づいたのである。シャッターが開くのが徐々に遅くなっているのだ。それでも、一応は開いていると思ったのでそのまま撮影をし、24枚撮りフィリムがなくなる頃に完全にシャッターは動かなくなった。
                ☆           ☆
 カラーネガの0円プリントが返って来ると、果たして写っているのは6枚だけだった。ネガを見ても露光しているのは6カットだけなのでシャッターが開いていなかったのだろう。プリントはカリッとしていい感じである。しかし、レンズを評価するにはあまりにも足りない結果だ。
 コニカEE−MATIC DELUXE2でレンズシャッター機の修理を行い、鳳凰のDC303Kでフォーカルプレンシャッター一眼レフの修理を行った経験から、レンズシャッター一眼レフの修理も可能かと思って挑戦してみたが、結果は完敗であった。構造が複雑な上にユニット化が不十分で部品も多く、巻き上げからシャッターチャージに至るギミックも満足に理解できなかった。おまけに、仮組みしたら部品が幾つも残る次第である。こうして、また、ブックエンドが増えることになった。
 フォーカルプレンシャッターの供給が安定化するのにつれ、レンズシャッター一眼レフは姿を消していったようである。決定的だったのはユニット化の優れたコパルのスクエアの登場であろうか?
 懲りずにコーワは欲しい。どうせ安いものを狙うと失敗するのだから、いっそのことコーワ6シリーズをとも思うのだが、やはり先立つ物が問題である。それに、ライカ判で壊れやすい物が中判で信頼性が高いとも思えない。
 やはり、コーワは焦れても手の届かない物なのだろうか?

 では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2010/1/29)

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