キヤノン FTについて


CanonFT
信じられないくらい安価だが、やはりリスクは覚悟しないと。

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


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 当時のケースは立派な物だ。
 これもケース+FL50mmF1.8付きで580円くらいで拾った気がするのだが。

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 常識的で安定したスタイリング。
 弄りたがるキヤノンが、やっと落ち着いたのだ。

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 小顔で、見れくれが出来そうなのが、ガッカリ感を巨大にする。

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 革ケースも考えてデザインしてあり、ここのボタンがあるのも意味があったはず。
 でも、忘れちゃった。使わないから。

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 これが1円落札した個体。
 FL28mmF3.5が付いているが、落札時についていたものなのか不明。

 21世紀も干支を1週した現在である。ネガティブキャンペーンを広げるつもりはないのだが、本カメラの生存率は低いんじゃないかな。ちゃんとスローシャッターが切れるように見えても、幕の走りの安定性は怪しいんじゃないかな。別にキヤノンが本カメラの設計や製造に手を抜いたのではないと思う。本カメラよりも遥かに後に登場した70年代の物は断定できないけど。何せ、1966年のカメラである。半世紀前のカメラだ。ちゃんと動いたら奇跡だ。そういう意味で言うとニコマートFTやペンタックスSPは凄いなあ。ニコマートFTは外観はボロでも、撮影可能状態の個体が多いし、ペンタックスSPも露出計以外は大抵大丈夫だ。ファインダーのカビや少々のプリズム腐食が気になる方は、2〜3万円くらい消費して、ちゃんとした中古をお買い求めになるのをお勧めする。本カメラは露出計が大丈夫な可能性が高い。それで見かけはシャッターも動くので、モルト補修くらいで撮影可能だと思わせちゃうのが罪な奴だ。
 歴史の教科書に書いてあるのは、1959年に登場したニコンFが、その後の日本製一眼レフカメラの覇権を決定づけた名機であり、ほぼ同時期に登場したキヤノンフレックス(初代)がキワモノ扱いで全く評価の対象になっていないことだ。ニコンFはその後、ニッコールFマウントレンズを世界的ブランドとして定化した。ニコンFを世界に認知する大きな媒体の一つはベトナム戦争だと言えよう。ベトナム戦争のアメリカの介入を何年にするかは議論が分かれるようだが、1960年に結成した南ベトナム解放民族戦線は重要なキーストーンになるだろう。朝鮮戦争の時にLマウントニッコールが世界への認知のきっかけになったように、Fマウントニッコールの世界への認知とベトナム戦争はリンクする。朝鮮戦争では距離計連動機が主流だったが、ベトナム戦争ではニコンFが展開した。当時の戦場カメラマン(拙僧は”カメラマン”という語感が嫌いなのだが、ここは石川文洋氏に敬意を示して、この単語を使う)の装備を見ると複数のライカ(Mマウント)とニコンFをぶら下げている。広角系レンズをライカに任せ、標準〜長焦点レンズをニコンで担ったと大抵の教科書には書いてある。そういう使い分けは確かにあっただろう。でも、想像だけど現地でカメラが壊れた、或いは現像時に壊れていたことを知ったとなったら、彼らの命を懸けたリスキービジネスがパーになるから、2系列のシステムを選択したんじゃないかな。70年代後半以降の戦場カメラマンがライカ(Mマウント)を使っていたら、「報道」以外の何かを求めているか、リスキーな人生をお楽しみになっているのだろう。ライカ一眼レフを使っていたら、戦争の認知が欠けていらっしゃるとしか思えないな。朝鮮戦争では一眼レフカメラのクイックリターン化が不十分だったので、戦場カメラマンの装備に堪えなかった。ファインダーが一瞬ブラックアウトするから写真が撮れないなどと言うナーバスな連中が戦場に適応できるとは、とても思えないな。もっとも、そんな不適応な思い込みが戦場カメラマンという割に合わない仕事に、彼や彼女を向かわせたかもしれない。朝鮮戦争ではレシプロだったヘリコプターのパワーソースはベトナム戦争ではタービン化したし、戦闘機も「亜音速ジェット機+機関砲」から「超音速ジェット機+ミサイル」にシステム変更した。実際には「亜音速」の重要性や「ミサイル重視」の妥当性は怪しかったのだが、それもベトナム戦争を媒体として判明したことだ。
                 ☆           ☆
 ニコンの話が長くなってしまった。キヤノンフレックス(初代)はRマウントシリーズとして展開する。そのシェアは極めて限定的だった。現在、我々が安くジャンクで手に入れるとすれば、廉価版のキヤノンフレックスRPかセレン式露出計を搭載したキヤノンフレックスRMが可能性として高い。キヤノンフレックスがメジャーになれなかったのは、機械的な信頼性が低かったからだという説もある。確かに、Rマウントが採用したスーパーキャノマチックという自動絞りのメカニズムは複雑で、拙僧は今でも工程を理解していない。我々の手にする個体は、理想的なコンディションを保っていても、半世紀以上の個体となる。今更、当時の信頼性を推測するのは難しいが、多分、歩留まりも悪く、製造単価も高かったのだろう。それに、当時はキヤノンのLマウント距離計機が健全で、営業的にも一眼レフに力を入れていなかったのではと思われる。製造単価が高くて営業も薄いとなれば、市場に浸透するのは難しいな。1959年と言えば、キヤノンPが登場している。これは普及クラスのLマウント距離計機だが、明確なコンセプトと信頼性の高さでキヤノンの送り出したカメラの中でも、名機と言えるだろう。これだけの精度のカメラが大量生産できるキヤノンが、機械的信頼性の怪しいカメラを出したとすれば、設計・製造・生産・品質管理・原価計算のいずれかが不足していたのだろう。つまり、キヤノンは会社として一眼レフカメラを本気でやるつもりが無かったのだ。
 1960年代に入り、キヤノンは新しい市場を獲得した。当時、レンズ交換式距離計機や一眼レフカメラは高級機だったのだ。作っていたキヤノンは高級機専門メーカーであった。ちゃんと撮影出来るミノルタα3xiが300円で転がっている現在とは事情が異なる。だが、キヤノンは自らの高級機メーカーと言う制約を払拭する。1961年にキヤノネット(初代)を投入し、普及モデルの市場に参戦したのだ。18800円という低価格ながら本格的な距離計を搭載し、実用になるEEを組み合わせた。更に、レンズは45mmF1.9と大口径で、写り具合の評判も上々。たちまち大ヒットとなり社会現象も刺激する。これをきっかけにEEまでは何とか戦争を継続できたセカンドブランドのカメラメーカーが脱落し、多くは歴史から姿を消す。その後も、キヤノンデミでハーフ判市場にも参戦し、オリンパスペンの牙城を崩すには至らなかったものの、まず、成功と言っていイイ程のシェアを獲得した。成功作ばかりではなく、1963年にはレンズシャッター一眼レフのキヤノネックスを投入している。これはレンズ交換はできないが、シャッター速度EEを搭載し、価格は20800円と意欲的。しかし、あまり普及したとは言えない。これは、いまだにキヤノンの営業にとって、一眼レフカメラは好まれなかったのだろう。或いはキヤノンの本格的なシステム一眼レフカメラのキヤノンFXの登場を控えていたから、あえて流通量を制限したのかもしれないな。
 その翌年の1964年、最初のキヤノンの戦略的打撃力を持つ一眼レフカメラとしてキヤノンFXが登場する。これは外測式の露出計を搭載したもので、発想としてはキヤノンフレックスRMと大して変わっていない。重要なのは当時の光学機器として常識的で品質の高さを感じるスタイリングを確定し、マウントをFLマウントとして新展開したことだ。FLマウントの絞り連動機構は常識的なメカニズムだが、これによって信頼性も高まり生産性も(多分)向上した。一般的なバヨネットマウントに対し、Rマウントレンズの特徴であるスピゴットマウントは残した。これは、キヤノンでいうブリーチロック式で、キヤノンは高級マウントとしている。それはそれでメリットもあったし結構だ。その後、やはり使い勝手が問題化し、バヨネットマウントに近い操作感を持つNewFDマウントに最終的に落ち着くのだが、それは70年代も後半の話だ。落ち着いたスタイリングも好評だったようで、その後のキヤノンFシリーズはキヤノンFXのスタイリングを踏襲する。
 翌年の1965年に登場したキヤノンぺリックス(PELLIX)でTTL測光の内蔵露出計を搭載する。しかし、このカメラはハーフミラーを固定し、レンズを透過した光の30%をファインダーに導き、70%をフィルムへの露光として通過させる変則的な一眼レフだった。実際に使ってみると、限定的な光を投影しているファインダーもそんなに不便は感じない。しかし、今も昔もカメラ好きというのは保守派が多いだろうから、あまり好意的に受け入れられたとは思えないな。ちなみに、拙僧は基本的にキヤノンのカメラを紹介するときに「QL」を除いてる。例えば、本カメラを紹介する時には「キヤノンFT−QL」と紹介するコンテンツも多い筈だ。しかし、拙僧はタイピングにも可読性にも混乱を生じる気がするので、あえて「QL」は除いている。「QL」はクイックローディングの意味で、ライカ判フィルムの装填を用意にする機構である。簡単に説明すると、通常はフィルム先端を巻き上げスプールの溝に挿入し、巻き上げレバーで食い込みを確認するのだが、「QL」では複雑な造形の「フィルム押さえ板」に挟むだけで、フィルムの巻き上げの確実性を高める機構だ。一種のイージーローディングで、クラスを問わず多くのキヤノン製カメラが採用した。あまり悪い評判を聞かないのだが、見てくれが込み入ったメカニズムに見えるので、拙僧のような小心者がキヤノン製カメラの可動を遠ざける要因の一つになっている。
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 やっと本カメラの話題に入る。キヤノンペリリックスの翌年、1966年に本カメラは登場した。ちょっと回り道をしたが、やっと常識的なスタイリングのTTL測光の露出計を内蔵したキヤノンの一眼レフカメラが登場したのだ。本カメラのデザインは当時の常識的な物で、自動絞りを実現し、シャッターの最速は1/1000を搭載する。現在の運用で気になるのは「絞り込み測光」なのだ。つまり、ただ絞りリングを回しただけでは、ファインダー内の露出計の針は連動しない。セルフタイマーレバーを内側に倒してレンズの絞りを閉じて、正確な露出値を測る。ちなみに1965年に登場したニコンのニコマートFTは絞り込みなど必要ない「開放測光」を採用していた。同じ「FT」を名前に含むことから、後発の本カメラの命名の動機が気になる。もっとも、ニコマートFTはレンズの開放値の伝導機構が無いので開放値を手動で設定する必要があった。この辺りのメカニズムが不確定で「絞り込み測光」にもニーズがあった。市場も好意的なシェアがあったようだ。しかし、使い勝手の点からすれば、何れ淘汰されると思っていた方が多数派だったろう。TTL測光の一眼レフカメラの先駆けは、1964年に登場したペンタックスSPである。登場は1963年のトプコンが先だったが、「開放測光」という先見の目がありながらも、信頼性やシェア確保からするとイマイチだった。後世へと続くマイルストーンとしての貢献性からすると、ペンタックスSPを取り上げたい。ペンタックスSPも絞り込み測光だった。しかし、ペンタックスSPの採用するプラクチカマウントは、ペンタックスSシリーズの起源である、1957年のペンタックスAPから踏襲した物である。既にペンタックスのタクマーブランドのレンズは市場に浸透しており、従来レンズと親和性の高い「絞り込み測光」の選択は妥当だと思う。しかし、本カメラは1964年に登場したキヤノンFXを原点にしている。キヤノンFXは常識的に考え込まれた良いデザインだったが、「開放測光」に配慮しなかったのは、当時としても迂闊だったと思える。Rマウントレンズのシェアは限定的だったし、「開放測光」でもマニアル絞りで使えば、Rマウントレンズだって活用可能だ。そもそも、Rマウントレンズが全てスーパーキャノマチックだったのではない。マニアル絞りのレンズだってかなりあった。どうも、キヤノンが従来のRマウントレンズのオーナーに配慮したというよりは、市場や技術の発展予測に隙があったのではと思えるな。キヤノンが「開放測光」に舵を取り直したのは1971年のキヤノンFTbからである。同時にマウントはFLマウントからFDマウントにシフトする。「FT」に「b」が付いただけなので何かしらの改良型に見えるが、根本的なコンセプトから違うカメラだ。「Tu−22ブラインダ」と「Tu−22Mバックファイヤ」程違う。キヤノンの「規格変更に対する従来オーナーの軽視」のイメージは、この辺りから発生したのだろう。しかし、この年、キヤノンにとって運命を決定づけた旗艦モデルのキヤノンF−1が登場する。キヤノンにとって初めてのプロの仕様に堪える高級一眼レフカメラであった。そしてそれは成功への道筋となった。当時は「プロが使う」というのがコマーシャルになったのだ。素人のパワーブロガーがムーブメントの起爆リーダーになる現在とは隔世だな。
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 結局、本カメラの詳細なレポートには繋がらなかったな。正直言って、本カメラの仕様は凡庸である。しかし、常識的な撮影にはそれこそが重要なのだ。ア・バオ・ア・クー攻防戦ですら、旧ザクを好む古参兵がいた。我々はクリティカルなグラビア撮影や物撮りとは無縁なので、FLレンズを有効に使おうと思えば、別に「絞り込み測光」の手間は大した問題ならない。問題は、本カメラの個体のコンディションが極めて悲観的なのだ。モルトやファインダーの劣化は大した問題では無いのだが、シャッターの状態が不安定な個体が多い。既に報告させていただいたように半世紀も前のカメラなのだから致し方ないのだが、同時期のニコマートやペンタックスSPはひとまず撮影出来る個体が多いので、比較してしまうのは致し方ないな。その辺りを御存じなのか、ジャンク駕籠でも捨て値だし、ネットオークションの価格は気の毒なほどだ。拙僧は1円で「レンズ+ケース付き」を落札したこともあるぞ。
 もっとも、本カメラを取り上げたコンテンツは多い。しかも、かなり手の込んだOHを実践なさったレポートを複数の方々が公開している。中にはプロに任せて3万円もかけてOHした若者のコンテンツもあったな。それで本カメラの撮影報告が多いかというと、そんなことは無いな。それが、本カメラの現在の市場価値なのだろう。FLマウントレンズは素晴らしいので惜しいが、キヤノンFTbでもFLレンズは使えるしな。
 キヤノンが本カメラの設計や製造に手を抜いたとは思わないのだが、事実として生存率が低い。OHするにも動機が少ないのだろう。拙僧だってやるならFTbか、いっそF−1にする。キヤノンがカメラのデザインを露骨に手を抜くのは、まだ先の話だ。

 
 キヤノンFL50mmF1.8 の撮影結果も見ていただきたい。


(了:2013/11/12)

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