チノン スーパージェネシス


CHINONSUPERGENESIS
80年代SFチックなスタイリングが魅力である。

☆ジャンク度☆
無し
撮影可能


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 オデコにはあてになりそうなフラッシュを搭載。
 使ったことは無いのだが。

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 プログラムAEの他、スポーツモードなどのシーンモードを搭載する。
 カメラの都合で勝手にズーミングをしてくれるモードも搭載する。


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 ムービーカメラを髣髴するストラップ。

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 操作系もどこかSFチックだ。


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 諸設定は左手で行うようになっている。

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 れっきとした一眼レフカメラである。

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 ボディ下面はちょっと間抜けな感じだ。

 チノンスーパージェネシスである。割と名の通ったカメラだと思うのだが、ネット検索しても、ちゃんと使ったというコンテンツは極めて少なかった。知っていても欲しいというほどではないのだろうな。
 チノン株式会社の前身は1948年に有限会社三信製作所として勃興した。その後、チノンブランドを立ち上げる。これは長野県茅野市に由来しているのだと思ってたのだが、初代社長が「茅野さん」だったかららしい。長野県は水も綺麗で光学機器メーカーは多く、サンキョウやコシナなど良く知られている。当初はレンズ回りのOEMで生計を立てていたのだが、その内情は苦しかったようだ。チノンが知られるようになったのはズームレンズの成功で8mmシネカメラのジャンルに参戦するようになってからだ。確かに、チノンの8mmシネカメラはジャンク市場でも良く見かける。スチルカメラの一眼レフの生産を開始したのが1971年だというから、我々の思ってたよりもチノンの一眼レフカメラの歴史は浅い。それでも、印象に残っているのは、OEMを含めて幅広く流通したからなのだろう。コンパクトカメラでもチノンは価値のあるものだとされ、簡便なコンパクトカメラでもチノン製はコニカやフジフィルムの物よりも高値の場合が多い。比較的、早い段階からデジカメの開発・製造を行っており、初期のコダック製デジカメの多くがチノン製である。しかし、80年代に進出したPC周辺機器などへの多角化の失敗が最後まで吸収できずに2004年にコダックに買収され、その後も紆余曲折がありながら、2009年には消滅している。チノンのブランドは子会社であった株式会社三信商会が引き継ぎ、会社名も株式会社チノンとして電子機器などに継承されているようだ。
 チノンは1981年にAFコンパクトカメラのチノンインフラフォーカスを出している。これはサーボモーターで無段階に焦点調節ができるものだが、見た目はコニカC35AF(ジャスピンコニカ)から逸脱するものではない。1988年に送り出したのがチノンジェネシスで、これはレンズ一体型一眼レフカメラでレンズ交換は出来なかった。チノンは独自のブランドでレンズ交換式一眼レフカメラを発売したが、このカメラについては文献も乏しく、成功したとは言えないようだ。一眼レフカメラのAF化は、実用になる技術があっても乗り越えるのは中々難しかったようで、オリンパスもレンズ交換式AF一眼レフカメラは諦めている。チノンジェネシスは一眼レフではあったが、シャッターはレンズシャッターだった。拙僧はそれに気づかず、フォーカルプレンシャッターが欠落したジャンクだと思って、完動品を捨ててしまったことがある。フォーカルプレンシャッターなのは1989年に登場したチノンスーパージェネシスである。つまり、本カメラだ。レンズ一体型ならば、レンズシャッターでもフォーカルプレンシャッターでも使い勝手には大した違いがあると思えないのだが、もしかしたら、チノンは本カメラの発展を考えていたのかもしれないな。チノンのAFカメラとしては完成の域に達している。
 AF一眼レフカメラが実用品として使い物になったのは1985年に登場したミノルタのα7000からである。1987年には巨人のキヤノンから鳴物入りのEOS650が登場している。EOSは高度に自動化・合理化を実現しており、AF一眼レフの本格的な道筋を立てたと言っていいだろう。しかし、EOS650にしろ、ライバルのα7700iかなり大型だったし、価格も高価だった。なので、レンズ交換は出来ないが軽量で女性やファミリー層に向けた一眼レフ並みの使い勝手を実現したブリッジカメラのジャンルが存在した。ブリッジカメラの一つの方向性として、コンパクトカメラをベースに高性能レンズを組み合わせ、AFの精度を上げたオリンパスのIZM330やフジフィルムのカルディア3000などが存在する。一方で本カメラやオリンパスのLシリーズ等のレンズ一体型一眼レフカメラもブリッジカメラとされた。本カメラはオリンパスのL1/2に比べて二回りは小型で、重さも軽い。なので取り回しも良く、女性でも負担は少ないだろう。
                ☆           ☆
 本カメラの文献は極めて少ないので、拙僧が弄った限りでの報告をさせていただきたい。
 ルックスは完全に80年代SFのものである。これはそれで不快な物ではない。ボディサイドにムービーカメラを思わせるハンディストラップが効果的でホールディングは良好である。但し、このハンディストラップが欠落していると、ホールディングは途端に不安定になる。フィルムの装填はオリンパスのように特殊ではないので、戸惑うことは無い。やはり、フィルム室からフォーカルプレンシャッターが見れるのは、嬉しい物である。電源ボタンはカメラを構えて右肩にあり、スライドして電源ONする。無論、デジカメとは異なり起動は迅速だ。
 レンズは38〜110mmのマクロモード付きズームレンズ。方々調べたのだが、本レンズのF値や最短撮影距離は分からなかった。本カメラの特徴的なのは「ズームプログラム」機能の搭載だ。これはミノルタがαxiシリーズでもやってしまったのだが、レリーズボタンを半押しすると、被写体を勝手にカメラが判断し、自動的にズーミングを行ってしまう代物だ。ギミックとしては凄いのかもしれないが、全く不要な機能である。先代のジェネシスではレバーによってマニアルで行っていたズーミングが、「ズームプログラム」の為にパワーズームになってしまった。勿論、この機能はキャンセルできるが、あって全く嬉しくない。撮影モードはプログラムAEとスナップモード(人物+背景)とスポーツモードの3種類を搭載する。任意の絞りやシャッター速度の選択は出来ない。これはそういう物なので仕方ないな。この辺りはマルチモードAEを搭載し、限定的ながらもMFもできるオリンパスLシリーズと対照的である。
 ファインダーはやや暗いが、フォーカスが当たっているのか外れているのかは分かる。ファインダー内の情報は、被写体が暗い時のフラッシュ警告とAFの合焦と下向きの赤い三角マークのみである。露出値は一切表示しない。下向きの赤い三角マークの意味は分からない。
                ☆           ☆
 本カメラ、および先代のジェネシスの登場は一定の評価を得たようだ。しかし、あまり紹介したコンテンツが無い点からも、そんなに売れたカメラではないようだ。海外での評価が高かったという話もある。実際に、アラブ系の観光客や白人がジェネシスかスーパージェネシスを構えている姿は何回か見ている。日本人には露出も操作できないカメラは関心が薄いのだろう。デジカメの世の中でも同じようなジャンルで高倍率ズームEVF機があるが、ライカ判換算で24mmから始まる光学30倍ズームレンズなどという凄まじいスペックのカメラがあるが、運動会やコアな観光地でも見かけないから、やはり日本人にはピンとこないのだろうな。

 では、撮影結果(犬山祭り編)を見て頂きたい。

(了:2013/5/28)

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