ニコン ニッコールHオート 300mmF4.5(Ai改)の撮影結果(小学校運動会)


AutoNikkor-H300mmF4.5
堂々たる風貌がオートニッコールの魅力

☆ジャンク度☆
若干の埃の侵入有り
撮影可能

MicroNikkor55mmF35 MicroNikkor55mmF35
 迫力の望遠レンズは重量1kg。

MicroNikkor55mmF35 MicroNikkor55mmF35
 フードを内蔵。

MicroNikkor55mmF35
 縦位置と横位置用の三脚座を用意する。

MicroNikkor55mmF35 MicroNikkor55mmF35
 嬉しいAi改造済み。

 オートニッコールには魅力がある。別に描写がイイとかそういう事ではなく、金属製のローレットとプラチナカラーの鏡筒基部が渋くグッとくるのである。これが望遠レンズだと迫力は倍々ゲームで、どこか銃器を思わせる。重機でもいい。あっしがその魅力に気づかされたのはニッコールQCオート200mmF4である。中野フジヤカメラでAi改が3000円だった。当時、拙僧は135mmだってロクに使わなかったから、本気で200mmという焦点距離で撮影したいと思ったわけではないのだが、ジャンクでなくショウウィンドウの片隅に追いやられている姿に、デットストックのチノパンGetの衝撃を受けたのだ。ブツは外観にクタビレ感はあるものの、光学系や動作は良好な状態であった。これは安い買い物で、後日になって後期型のブツを見つけたが、同じ3000円でもカビが有ったり非Aiだったりして魅力が薄い。もっとも異なるのが、例の鏡筒基部のプラチナカラーがブラックになっていたのだ。
 それでオートニッコールの散策が始まる。当初はAi改の物をターゲットにしていたのだが、何しろ改造なしのオートニッコールと言えば、後玉にちょっとカビがあるオートニッコール−Q 135mmF3.5が580円で転がっているのだから誘惑を振り切るのは不可能だ。本レンズなんてどこでいくらで拾ったのかも覚えていない。Ai改なので無視できなかったのだろう。拙僧が拾うなら2000〜3000円くらいだろうな。状態はレンズ内に埃の侵入が見受けられるが、傷やカビは無く動作も問題ない。200mmだって使わないのに300mmを使うシチュエーションは考えられなかったが、上手い物で2〜3年ほど寝かせておいたら専属モデルである姪が小学生になって運動会に呼ばれるようになった。幼稚園の箱庭なら200mm以下の焦点距離で問題なかったのだが、小学校の校庭となると、それなりに長い玉が必要となったのだ。
               ☆              ☆
 21世紀現在では300mmは廉価ズームでカバーするような焦点距離であろう。もしかしたら、APSサイズ撮像素子やフォーサーズ/マイクロフォーサーズの普及した世の中では135mm>200mm>300mmという区切りで見当をつけるのもオールドスタイルかもしれないな。フォーサーズのようにイメージサークルの小さなレンズなら明るい望遠レンズを設計するのも容易だろうから、F4.5の明るさは現在では大したものではないとデジ世代の若い連中は思うだろう。これよる上のクラスであるサンニッパになると価格的にもサイズ的にも、ちょっと子供の運動会で買える範囲を超える。サンニッパの元祖であるトプコンでも300mmF2.8の下はF5.6だったから、F4.5は価格と取り回しのバランスのとれたRPG−7のような効果的な対戦車火器だったろう。本レンズに先行して1964年に登場したのがニッコールPオート300mmF4.5である。これはFマウントの300mmとしては初めて自動絞りを実現した。それ以前はSマウントのレンズにアダプターを噛ませていたそうだ。当初は5枚玉だったが、1967年に5群6枚の本レンズに改修している。300mmF4.5のスペックは80年代のAiS時代まで踏襲していくから、やはり前線での評価が高かったのであろう。
 実際に小1運動会戦役では有効に活用した。Ai改だから最近の中級クラスのニコンデジ一眼レフでも使える筈だ。本ページに掲載した画像は楽凱ラッキーパンSHD−100のネガをフラットヘッドスキャナで読み込んだものである。何れプリントして差し替えたい。
 


散会!!






















なんだか昭和にタイムスリップしてロリ投稿写真を撮っているような錯覚も感じるが。






















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