フランケ&ハイデッケ ローライ A110について


RolleiA110
ダサカッコよさが魅力のスティックサイズのローライ
110判フィルムの終焉で昭和の灯がまた一つ消える

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


RolleiA110 RolleiA110
スライド式のカプセル型ボディ。
ミノックスのように、開くとシャッターを切っても切らなくても1コマ送る。
どうも、本来はちゃんと送り防止機構が付いているらしいのだが、自作フィルムだとパーフォレーションを開けてないので、機能しないようだ。


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 泣く子も唸るテッサーでございますよ。
 ファインダー内にはフォーカスインディケーターを表示。


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 この芋虫みたいに伸縮するボディにセクシーさを感じるのだが。


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 レリーズボタンの精密感などはそれなり。


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 フィルム室の開閉はちょっとコツがいる。


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 拙僧のやっつけ仕事では110判フィルムカートリッジの遮光もいい加減だから、フィルム装填は暗箱で行っている。

RolleiA110
 電池はローライ35と同じタイプ。
 入手は困難なので1.5Vアルカリ電池にスーペーサーを作って自作。


 APSが消えようとしてシングル8も消えようとしている。コダックも難しい状況なのでスーパー8も不透明だ。いや、冷静に考えると平成25年までシングル8の現像サービスを続けるってのは凄いな。拙僧が幼稚園児だった頃だって8mmシネカメラを回している親なんていなかったから、数十年も前から採算なんて成立していないだろう。コダックのフィルム代が上がったからフジフィルムも上がるだろうが、感材部門などという慈善事業が続くためにも、フジフィルムにはコスメやメディカルで儲けていただきたいものだ。
 そんな中、一足先に消えてしまったのが110判フィルムである。拙僧がカメラ人民として民族自決の闘争を開始した頃には、既に110判フィルムはフジのカラーネガ1種類しかなかった。コダックでも1種類だしていた筈なのだが、新宿のヨドバシでも手に入らなかったと思う。無論、当時はソラリスだのフェラニアだのは存在も知らない。それでも単車に乗り始めた頃のペンタックスオート110での撮影記録が残っている。カメラ人民としての自覚を得た後も、拙僧の興味はもっぱらモノクロだったからオート110の稼働率は低かったのだが、なにしろキュートなカメラだからランニングコストが高くても、ちょいちょい使っていた。既に0円プリントの時代である。ところが、何時頃だか特定はできないのだが、同時プリントのクオリティが悲劇的に悪化したのだ。110判だから当たり前と思われるかもしれないが、以前はサービス判ならそこそこの発色と諧調を表現していたのに、急に撮影したまま10年くらい忘れていたネガを今更ながら現像し、何とかプリントしたようなデジ時代で言うところのノイジーなプリントが返ってきたのである。ラボを代えても改善しない。というか国立で出そうが八王子で出そうが、110判フィルムの現像なんて同じ現像所に送られていたと考えるのが適切だろう。それで思い切ってオート110のボディ2台とレンズ数本を処分したのである。今から考えると惜しいことをしたものだが、当時はまさかロールフィルムをカットして詰めるなんて思いもよらない。そう、110判カメラはまだ死んでいなかった。APSやシングル8は難しいが、110判フィルムなら、カートリッジを分解してカットしたフィルムを詰める手が有るのだ。そのようなコンテンツは以前も見たことは有ったが、まさか自分でやるとは思わなかった。きっかけは16mmフィルムの自作である。やっつけ仕事で作った16mmフィルム用のベルトを使えば、110判フィルムだって自作して現像が出来る筈だ。拙僧も通常の快楽では満足しない歳になったか。ああ、もはや21世紀にもなってカワサキZ2にゴールドウィングのトライクが買えるくらい金をかけて、峠でニンジャ250に抜かれる方々を笑うことはできない。
 それで、オート110をネットオークションで追跡するのだが、インターセプトコースに至る前に敗北してしまう。現在(2012年2月)、現像サービスは終了していないから、デットストックを買い貯めた方に根強く人気があるのだろうか。ところが、「あの」ローライが廉価に手に入ったのだ。無論、動作未確認のジャンクなのだが、価格は310円である。そもそも、そのセラーは九州のショップなのだが、同日落札なら何台でも送料が700円なのである。なので、欲しかったのは他のカメラだったのだが、相対的な送料を安くするためにビットを入れたのだ。そもそも、そんな価格帯でローライが落札できるとも期待していなかった。ローライも安くなったものである。ちなみに、記録を見ると同時に落札したのは、ありふれたヤシカミニスターのジャンクとかアーガスC2エレクトロのジャンクとかツマラナイ(ミニスターはつまらなくないです)ブツなので、本気の一品は逃したのだろう。
                 ☆           ☆
 丁寧に梱包されたブツはそれなりに使用感はあったが、塗面の腐食や擦り傷も戦士の歴戦を物語って良い物である。主な傷は背面にあり、前面には少ないのも伊達御男の気概を感じる。登場は1974年(72年説あり)と拙僧とほぼ同年代である。お互いにアラフォーをまじかにして、身体のあちこちがクタビレテきたのは致し方ない。16mmカメラやミノックス判を使い慣れているから、その小ささには驚かなかったが、やはりミノルタ16Pとは比べ物にならない程、重厚感がある。手持ちではミノックスBを手に取った時の精密機器としての重さを感じる。ただ、ブラックペイントはそれほどお金をかけたとは思えないので、鈍く光るクロームのミノックスBに比べると、高級感は今一歩だ。しかし、デザインセンスは秀悦である。ブラックボディのマッスにオレンジのレリーズボタンとフォーカシングレバーがアクセントになり、カプセル式のボディを伸長すると、マットシルバーを枠にした美しいファインダー開口部と、レンズスライド部にヘアライン加工のメタル地が表れるのも洒落ている。ドイツ大衆製品ならではのポップカルチャーを感じ好ましい。もっとも、一見普及品に見えるのだが、ボディを伸長するときの指の抵抗感が、内部のデリケートな精密機器の存在をアピールする。本カメラと似た外観を持つローライA26が、これまた魅力的なルックスのカメラなのだが、これは入手が極めて困難な126判フィルムを使用するので、流石に手が出ない。
 電池は既に入手困難な5.6VのPX27を使用する。アダプターも存在するのだが、本カメラが10台くらい買える価格帯なので購入対象にならない。LR44を3個とLR41を1個と組み合わせて、ビニールテープで適当にスペーサーを形成して無理やりつめた。同じ電池を使用する、ローライ35SEも同様に対応している。当初はシャッター幕が開かず、完全ジャンクかと焦ったが、接触が悪いらしくアルミホイルで下駄を履かせると、幸いに動くようになった。そりゃ、すこぶる嬉しいですよ。一説によるとドイツ製とシンガポール製があるらしいのだが、本カメラの背面には「Mede in Germany」の輝かしい文言がペイントされている。
 何といっても市井のポケットカメラと格の違いを見せつけるのがテッサーの搭載である。カプセル型ボディを伸長すると露わになる、「Mede by Rollei」のテッサー23mmF2.8は、小指の先ほどの小さなレンズだ。しかし、覗き込むとマゼンダのコーティングが怪しく光り、安直なトイカメラとは一線を画す適度な緊張感が心地よい。フォーカシングはレンズの下にあるフォーカスノブの左右で行うが、拙僧の個体は動きが悪く、かなり渋い。この辺りが、この個体がジャンクとして出品された所以だろう。こういう場合、強引に動かすと、ノブとヘリコイドのリンクが壊れて使い物にならなくなってしまう場合が多いのだが、幸い本カメラは大丈夫だった。ファインダー内にはフォーカスインディケーターがあり、フォーカシングノブとのリンケージは正常である。
 室内の電灯や暗部にレンズを向けて、絞りやシャッター速度の簡単なチェックを行うと、概ね反応しているので一安心だ。本カメラはプログラムAE専用機なのだが、1976年に登場した廉価姉妹機のローライE110は絞り優先AE専用機なのである。現在の感覚からすると、任意の露出制御が行えるE110の方が高級な気がするのだが、当時はカメラ任せの全自動の方がお金がかかったのだろう。ペンタックスMXだって絞り優先AE専用機のMEの方が高かっと言うし。
 肝心なのは、拙僧がやっつけ仕事で自作した110判フィルムが使用できるかということだ。つまり、シャッターのチャージとかレリーズとかが、フィルムに空けたパーフォレーションが無くても動作するのかである。結論から言うと、大丈夫だった。流石に1コマ送りの位置は不確実なのだが、幸い110判カメラは裏紙に印刷したコマ数をボディ背面の窓で読み取ることが出来るので、困らない。現像したネガを見ると、コマ間が妙に空いているのだが、この程度は不具合にならないだろう。少々困るのは、本来は空送り防止の機構が働くらしいのだが、拙僧の自作フィルムではボディを伸長した後にレリーズせずに閉じると、再び伸長した時には1コマ空送りしてしまう。これも、ミノックスBの注意点を思い出せば大した問題ではない。
 ファインダーはコーティングを施しており、見え具合は素晴らしい。ひたすらクリアという訳ではなく、若干トーンが下がるのだが、この方が被写体を落ち着いて見据えることが出来る。拙僧が戸惑ったのは、フェザータッチのレリーズボタンである。オリンパスXAや電子化したアグファのコンパクトカメラのように、軽いタッチで動作して手ごたえが無いのである。拙僧のような鈍感な者には、機械的な抵抗が有った方が扱いやすい。
                 ☆           ☆
 1970年代のローライといえば、主力はライカ判一眼レフカメラのローライSL35である。ニコンはニコマートからFM/FEへと切り替わり、ペンタックスはスクリューマウントに見切りをつけてKマウントを採用した頃だ。日本製品の生産性も信頼性も飛躍的に向上した時期になる。当時、ヨーロッパでローライSL35系のレンズとボディの価格帯がどのあたりだったかは知らないが、日本製カメラに対し苦しい戦いを強いられていたのは想像に難しくない。生産をシンガポールに移したのもコストダウンの苦肉の策だったのだろうが、顕著に安くなったとも思えない。シンガポール製ローライは日本ではブランドが低く評価されているが、主要ターゲットの北米人は大した問題だと思っていないようだ。ローライフレックスも限定モデルを除いて1960年代から進化を止めている。一方で気を履いていたのがローライ35である。コンパクトな高級機のジャンルは十分なニーズを獲得して、ローライの屋台骨を支えたようだ。なので、よりコンパクトな110判フィルムにも注目したのだろう。
 結果的に110判フィルム全体のニーズがトイカメのような最低限の安価モデルにシフトしたために、ローライとしても持続力のあるブランドとして展開できなかったようである。ライカ判フルサイズのカメラも小型化が進んだし、フィルム面積は1/4でもボディサイズはローライ35の1/2くらいあるから、冷静な目で見るとインパクトは薄い。110判カメラの高級機種をある程度展開したのは、ローライの2機種を除けば箱根細工的なカラクリ道具の文化を持つ日本メーカー位である。
 しかし、本カメラはその論理的に良し悪しを判断してしまうには惜しい魅力がある。それは110判フィルムと言うカメラの簡素化、フィルム装填の簡便化を身上とし、画質をおろそかにした規格であったにもかかわらず、美しい写真を得ようとした相反するチャレンジに送りたいエールなのである。
 そういうのが、世の中の進化について生きづらくなったアラフォーの判官贔屓と言えばその通りなのだが、お互いに半世紀のゴールが見え始めた仲間として若い頃の傷を語り合うのも良いと思う。そうでなくても娑婆の戦いは避けて通れないのだから。

 
 撮影結果(モノクロ編その1)もご覧頂きたい。

(了:2012/3/2)

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